明信館とは? わかりやすく解説

修道学院

(明信館 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/07/24 04:53 UTC 版)

修道学院(しゅうどうがくいん)は、1918年大正7年)に高野佐三郎が開いた剣道道場。前身は明信館

概要

1888年明治21年)、高野佐三郎は警視庁を退職して埼玉県に帰郷し、浦和に「浦和明信館」と称する道場を開いた。以後埼玉県警察部に勤務しながら、千葉茨城栃木山梨神奈川東京北海道に支部を設立した。

1899年(明治32年)、実業家平沼専蔵の後援を受け、一家で東京に移住。1902年(明治35年)10月、東京府麹町区飯田町に「東京明信館」を設立し、明信館本部とした。このとき読売新聞に「其門に遊ぶ子弟無慮四千余人、道場を起こすこと三十九の多きに及び…」と報道されている。館員数は6千余人、警察官や学生を加えると1万人を超えた。

その後佐三郎は東京高等師範学校(のちの筑波大学)の教授をはじめとして東京高等工業学校早稲田大学曹洞宗大学日本体育会体操学校(のちの日本体育大学)、陸軍戸山学校陸軍士官学校等の剣道師範を務め、学校剣道の発展に尽力した。

1918年大正7年)5月、剣道を技術の習得に終わらせず人間を教育することを理想として、実業家渋沢栄一の後援を受け、東京府神田今川小路一丁目に「修道学院」を設立した。常時30人~40人の内弟子が寄宿した。

修道学院は中山博道の道場「有信館」と並び戦前の剣道界の勢力を二分した。もっとも、佐三郎は博道より10歳年上であり、博道が上京した当時、すでに佐三郎の明信館は根岸信五郎の有信館と並ぶ名門であった。博道がもし明信館に入門していれば佐三郎の弟子になっていたことになり、佐三郎と博道は生前によくこのことを話し合い、「縁とは面白いものだ」と語っていた。

1965年昭和40年)10月1日、秩父市の明信館本館は秩父市指定史跡となった[1]

主な門人

脚注

  1. ^ 秩父市 市指定史跡 高野佐三郎遺跡(明信館本館及び遺品一式)

参考文献

  • 堂本昭彦『修道学院の青春』、スキージャーナル
  • 堂本昭彦『高野佐三郎 剣道遺稿集』、スキージャーナル

関連項目


明信館

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高野佐三郎」の記事における「明信館」の解説

明治23年1890年)、浦和に明信館道場設立し急速に支部増やす明治26年1893年)、皇太子・嘉仁親王大宮公園行啓した際、佐三郎門人招集し剣道台覧供した明治28年1895年10月26日から28日まで平安神宮開催され大日本武徳会主催第1回武徳祭大演武会に出場し京都府井沢守正、徳島県高木義征と対戦し勝利した翌年第2回大会では福岡県浅野一摩滋賀県小関教政に勝ち、当時剣道界の最高表彰である「精錬証」を授与された。この年精錬証授与され人数出場460名のうちわずか15であった同年警部昇任し日本体育会現法人日本体育大学前身委員委嘱された。 明治32年1899年)、実業家平沼専蔵後援により、一家東京移住明治35年1902年5月大日本武徳祭大演武会の大家43名の高点試合優勝し日本刀賞与授与された。同年10月東京府麹町区飯田町九段坂)に明信館本部道場設立。このとき読売新聞に「其門に遊ぶ子弟無慮四千余人道場起こすこと三十九の多きに及び…」と報道された。39支部というのは、明治時代剣道道場支部数としては異例多さであった。佐三郎半生村松梢風により『秩父水滸伝』として小説化され、その後映画にもなり、この映画見た多く若者が明信館に入門した館員数は6千余人警察官学生加えると1万人を超えた明治36年1903年4月20日大阪府催され第5回勧業博覧会剣道大会で、有名剣100余名の中から佐三郎が最優秀者に選ばれ皇太子から金製記念章銀製面金絹糸刺し撃剣道具授与された。明治38年1905年4月剣道教士昇進する

※この「明信館」の解説は、「高野佐三郎」の解説の一部です。
「明信館」を含む「高野佐三郎」の記事については、「高野佐三郎」の概要を参照ください。

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