昇圧以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 10:00 UTC 版)
1960年代後半に予定されていた神宝線の架線電圧600Vから1500Vへの昇圧に際しては、本形式は昇圧対応工事の対象車となり、併せて長編成化に対応するためのブレーキ改造と、車内が半鋼製であった1次車については更新工事が1965年ごろから1967年にかけて実施されることとなった。 1次車の更新工事の内容であるが、半鋼製の車内を全鋼に変更し、運転台拡張・踏切事故対策としての前面の強化や窓枠の軽金属化が行われ、屋根周辺についても、ランボードの撤去をはじめ、雨樋の取り付けや2000系以降と同タイプの前照灯シールドビーム2灯化などが行われ、外観は大きく変化した。一方、2次車は更新改造を施工されなかったが、のちに客用扉の交換などといった整備は行われている。ブレーキ装置は全車HSC電磁直通空気ブレーキ装置に改造された。 更新改造後、シールドビーム化によって保安面での信頼性が高くなった1次車と、先頭車以外での使用が困難な2次車が揃った800系は、本線の先頭車として重用されることになり、920系や900形を中間に組み込んで6・7両編成の先頭に立つ姿が多く見られた。このため、大阪寄の先頭車となる800形は、ドア間座席の短縮化工事が行われ、窓5枚分の座席しかない車両も存在した。 昇圧後の神戸線では吊り掛け駆動車の特急運用がわずかながら残っていたが、1968年4月7日の神戸高速鉄道開業に際して特急全列車の三宮以西直通化により消滅、神戸線では三宮折り返しの急行・普通運用が主体となった。宝塚線昇圧の際には、1・2次車共に宝塚線に転属し、その後神戸線に戻ったものの、1次車の一部は、宝塚線でも使用されるようになった。 1970年代中頃に入っても、800系は801・804・805・806の各編成が7両編成を組まれて、神戸・宝塚線で先頭車として使用されていたが、既に旧型車の優等列車運用は減少しており、普通運用が主体となった。1976年には2次車の2本が920系と差し替えられて今津線に転出し、残る1次車2本のうち、804Fは1977年春に900形3両を外して4連化された上で今津線に転出した。また宝塚線に残った801Fについても、ほぼ同じ頃に4連化されて支線に転出し、本線での運用を終了した。その後は今津線と箕面線、伊丹線で使用された。 1978年、未更新の2次車より廃車が始まり、1978年4月20日付で806-856が、1979年3月31日付で805-855が廃車された。残った1次車は、新たに甲陽線において3両編成で運用を開始されたが、1981年から廃車が開始され、1982年3月の甲陽線での運用を最後に、同線で運用されていた920系943-938-973の3両編成とともに運用終了し廃車、系列消滅した。 804の運転台部分のみ、1981年4月より宝塚ファミリーランド内の電車館に展示されたが、閉園後は正雀工場に保管されている。
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