旧学校教練
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1925年(大正14年)公布の陸軍現役将校学校配属令により、帝国陸軍の現役将校が配置され、慶應義塾その他の大学で学校教練(軍事教練)を受け持った。 歴代配属将校 代氏名在職期間在任時階級および所属最終階級および後職1 大浜石太郎 1925年7月10日 - 1928年8月10日 陸軍大佐 陸軍少将、第10師団参謀長 2 服部保 1928年8月10日 - 1930年8月1日 大佐 陸軍少将、歩兵第4旅団長、予備役 3 伊藤義雄 1930年8月1日 - 1932年1月9日 大佐・第1師団司令部 陸軍中将、旅順要塞司令官、待命 4 石原常太郎 1932年1月9日 - 1933年8月1日 中佐・第1師団司令部 陸軍少将、鎮海湾要塞司令官、待命 5 栗田小三郎 1933年8月1日 - 1934年8月1日 大佐・第1師団司令部 陸軍少将 6 手塚省三 1934年8月1日 - 1936年3月7日 大佐・第1師団司令部 陸軍少将、戦傷 7 青木敬一 1936年3月7日 - 1937年11月24日 大佐 陸軍少将、歩兵第136旅団長 8 丸山定 1937年12月4日 - 1938年12月10日 大佐・留守第1師団司令部 陸軍少将、独立混成第12旅団長 9 寺田繁一 (不明) 大佐 (不明) 10 川生馨 (不明) 大佐 (不明) 11 永沢三郎 1941年8月10日 - 1943年3月1日 大佐・東部軍司令部 陸軍中将、豊橋陸軍予備士官学校長、第221師団長 12 木原義雄 1943年3月1日 - 1944年12月16日 大佐・東部軍司令部 陸軍少将、独立混成第67旅団長 特徴 配置された配属将校は軍隊内で出世する主流コースにはないが、平時であっても全員が閣下たる将官(勅任官)まで昇進していることは特筆に値する(戦間期には陸軍少将任官と同時に待命・予備役となっている者も何名か見受けられる)。 配属将校が赴任してからは「野外演習」として、正課の授業の一つとして取り扱われるようになった。戦時下の慶應義塾大学は最も自由な大学の一つで、学内では配属将校や特高警察がいても比較的自由であったことはよく知られている。他の旧制大学などでは、靖国神社・護国神社に参拝することを配属将校が激しく迫るというようなことがあったが、慶應義塾ではそのような問題はまったく起こらなかった。逆に来るときは兎に角、去るときは慶應義塾に好感を抱いていく者ばかりであったという。 教練関係のほかに軍人としては工学部長・谷村豊太郎海軍造兵中将がおり、谷村は東京帝国大学総長・平賀譲の推薦によって藤原工業大学の初代学部長に就任している。満20歳に達した男子は徴兵検査に合格すれば軍隊に入る義務があったが、学生は優遇されて卒業まで徴兵が延期された。
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