旧学校教練とは? わかりやすく解説

旧学校教練

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 18:36 UTC 版)

慶應義塾大学」の記事における「旧学校教練」の解説

1925年大正14年公布陸軍現役将校学校配属令により、帝国陸軍現役将校配置され慶應義塾その他の大学学校教練軍事教練)を受け持った歴代配属将校氏名在職期間在任階級および所属最終階級および後職1 大浜太郎 1925年7月10日 - 1928年8月10日 陸軍大佐 陸軍少将第10師団参謀長 2 服部1928年8月10日 - 1930年8月1日 大佐 陸軍少将歩兵第4旅団長、予備役 3 伊藤義雄 1930年8月1日 - 1932年1月9日 大佐第1師団司令部 陸軍中将旅順要塞司令官待命 4 石原常太郎 1932年1月9日 - 1933年8月1日 中佐第1師団司令部 陸軍少将鎮海湾要塞司令官待命 5 栗田小三1933年8月1日 - 1934年8月1日 大佐第1師団司令部 陸軍少将 6 手塚省三 1934年8月1日 - 1936年3月7日 大佐第1師団司令部 陸軍少将戦傷 7 青木敬1936年3月7日 - 1937年11月24日 大佐 陸軍少将歩兵136旅団長 8 丸山定 1937年12月4日 - 1938年12月10日 大佐留守第1師団司令部 陸軍少将独立混成第12旅団長 9 寺田繁一 (不明大佐不明10 川生馨 (不明大佐不明11 永沢三郎 1941年8月10日 - 1943年3月1日 大佐東部軍司令部 陸軍中将豊橋陸軍予備士官学校長、第221師団長 12 木原義雄 1943年3月1日 - 1944年12月16日 大佐東部軍司令部 陸軍少将独立混成67旅団長 特徴 配置され配属将校軍隊内で出世する主流コースにはないが、平時であっても全員閣下たる将官勅任官)まで昇進していることは特筆値する戦間期には陸軍少将任官同時に待命予備役となっている者も何名か見受けられる)。 配属将校赴任してからは「野外演習」として、正課授業一つとして取り扱われるようになった戦時下慶應義塾大学は最も自由な大学一つで、学内では配属将校特高警察がいても比較的自由であったことはよく知られている。他の旧制大学などでは、靖国神社護国神社参拝することを配属将校激しく迫るというようなことがあったが、慶應義塾ではそのような問題はまったく起こらなかった。逆に来るときは兎に角、去るときは慶應義塾好感抱いていく者ばかりであったという。 教練関係のほかに軍人としては工学部長・谷村太郎海軍造兵中将がおり、谷村東京帝国大学総長平賀譲推薦によって藤原工業大学初代学部長就任している。満20歳達した男子徴兵検査合格すれば軍隊に入る義務があったが、学生優遇され卒業まで徴兵延期された。

※この「旧学校教練」の解説は、「慶應義塾大学」の解説の一部です。
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