日本軍による住民殺害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 06:17 UTC 版)
アメリカ軍の攻撃および住民による自決以外に、日本軍による直接的な住民殺害があった。具体的な事例として、久米島守備隊住民虐殺事件(22人死亡)、渡野喜屋事件(35人死亡、15人負傷)、名護市照屋忠英学校長殺害 などが挙げられる。日本軍により殺害された住民の総数は明らかではないが、安仁屋政昭は1,000人と推定する見解を採り、元沖縄県知事(元社民党参議院議員)の大田昌秀は、スパイ容疑での直接殺害だけで数百人から1,000人以上と推定している。援護法との関係で戦闘参加者と認定された民間人のうち、14人は日本軍による射殺が理由となっているが、大田はこれも実数は数倍に上ると見ている。 住民殺害の動機は、スパイ容疑での処刑が中心で、そのほか物資や壕を巡る日本兵と住民の争いで殺害された事例や、地下壕の探知を避けるために泣き声の止まない子供を殺害した事例などもある。このような事態に至った原因について、極限状態で不可避というだけの問題ではないとの見方もある。一因として、日本兵が住民に対し、愛国心や武を尊ぶ精神に欠けると見て不信感を抱いていたことや、軍民一体化と防諜のため、沖縄語の使用が禁止され、その使用者を処分する方針であったこともある。また、スパイ容疑での処刑については、アメリカ軍収容下に入った住民が食糧集めに駆り出されているのを、アメリカ兵を日本兵の隠れ家へ誘導しているものと戦場の混乱の中で誤解したことが一因ではないかと推定されている。第32軍の沖縄南部への撤退は、戦火を逃れて避難していた沖縄市民の唯一の防護手段を奪うものであって、軍と民間人が混然となることにより、民間人に多くの災厄が降りかかることとなったが、この第32軍の失敗は、琉球人に対する日本の植民地主義的態度と政策に根差していたものという指摘もある。 一方で、末端の兵士たちは住民保護に尽力していたとの主張もある。嘉数の戦いに参加した兵士の一人(独立歩兵第13大隊所属)は「戦後、日本軍は沖縄県民に犠牲を強いた悪い兵隊だと宣伝された。しかし私の知るほとんどの下級兵士は自分の命など眼中になく、洞窟に潜んで助けを求める県民のため身を挺して戦った」 と述べている。いうまでもなく、すべての日本兵が残酷であったわけではなく、沖縄市民と仲良く付き合い善行も行い、犠牲を払った兵士もいた。例えば、ひめゆり学徒隊の与那覇百子らは、沖縄本島の南端の海岸まで追い詰められ、手榴弾で自決しようとしたときに、日本軍の敗残兵数人から止められている。ひめゆり学徒隊の自決を思いとどまらせた日本兵は、彼女らが持っていた手榴弾で自決している。
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