日本国憲法下での憲政の常道とは? わかりやすく解説

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日本国憲法下での憲政の常道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 00:12 UTC 版)

憲政の常道」の記事における「日本国憲法下での憲政の常道」の解説

日本国憲法下では、国会議員投票衆議院の優越から、実際に衆議院議員投票)で機械的に首相が決まるので、比較第一党から首相選出されることはほぼ確実に守られるようになったが、一方で野党第一党首相譲られることは基本的にはない。 しかし制度移行前後一時期は、明治憲法下での慣例守られ事例がある。1947年昭和22年)の衆院選後の首班指名選挙では、ほぼ全会一致というかたちで衆議院第一党ある日本社会党委員長であった片山哲選出した片山内閣総辞職後民主党与党第二党比較第三党)の芦田均指名され時には参議院緑風会は「憲政の常道」の論理から野党第一党日本自由党投票した。更に芦田内閣の崩壊後、連合国軍最高司令官総司令部GHQ)は国民協同党与党第三党)の三木武夫首相就任打診したが、三木は「憲政の常道」を持ち出して辞退した1954年昭和29年12月にも自由党総理大臣吉田茂退陣し、「憲政の常道」によって野党第1党だった民主党鳩山一郎総理大臣に就任し早期解散表明し発足後1カ月余り1955年1月解散している。 55年体制成立後は、自由民主党優位固定され野党第一党日本社会党次第政権獲得への意欲失っていったこともあり、内閣総辞職後に後任自由民主党総裁首相職辞退することはなくなった。また、投票の際の全会一致慣例早々に廃れた1993年平成5年)には、比較第一党自民党議席数を反自民野党連合上回ったことによって、日本新党比較第五党、連立第四党)の細川護熙首相に選出された。細川内閣倒れた後も枠組みそのまま維持され新生党比較第三党与党第二党)の羽田孜後任選出、更にその後任を巡って無所属海部俊樹自民党を離党)と野党第二党村山富市が争う事態に至る(村山選出)。1955年以降第一党以外から首相選出されたのはこの3例のみ。 「憲政の常道」は、野党与党による政党内での首相職たらいまわし批判するフレーズとして使われることはある。例え2008年9月福田康夫内閣総辞職した際、民主党小沢一郎代表は、「憲政の常道わきまえ野党政権を譲るよう主張するそうでないなら、次は選挙管理内閣なので、一刻も早く解散・総選挙をして国民信を問うことを求める」と主張していた。なお、後の民主党政権でも鳩山由紀夫内閣退陣後には引き続き民主党から菅直人が、退陣後には野田佳彦首班指名された。

※この「日本国憲法下での憲政の常道」の解説は、「憲政の常道」の解説の一部です。
「日本国憲法下での憲政の常道」を含む「憲政の常道」の記事については、「憲政の常道」の概要を参照ください。

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