日本における見世物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 07:48 UTC 版)
奇形の子供や性行為を覗き穴で見せるなど、文字通り何でも見世物にした。倉田喜弘によると、横浜で『ジャパン・ヘラルド』の主筆を務めたブラック(快楽亭ブラックの父)が1872年(明治5年)に皇居近くの神田橋周辺にあったむしろがけの小屋で「ウサギの死体を食いちぎる子供」なる見世物を見たことをきっかけとして、同年11月8日に東京府が「違式詿違条例」(今の軽犯罪法にあたる)を布達した。内容は主に、男女相撲の禁止、蛇遣いなど醜態を見世物にすることの禁止、夜12時以降の歌舞音曲禁止、路上における高声の歌の禁止などである。また翌1873年(明治6年)2月には、よしず張りや床店の大きさを定めた。 また、東京では1891年(明治24年)10月3日の警察令第一五号「観物場取締規則」により、興行場所を浅草公園六区(浅草奥山のすぐ隣りの地区)の一箇所にまとめられた。地方では巡業形態が続いた。時には、誘拐された子供が人身売買で、足の筋を切られた被虐的な道化役や、見世物として覗き穴の娼婦にするために売り飛ばされてきた例もあったという。社会福祉が発達していなかった頃には、身体障害者が金銭を得る為の仕事であり生活手段の一つでもあった(中村久子など)。 しかし1947年(昭和22年)に『児童福祉法』が公布され、曲芸に重きを置くサーカスと同様に見世物小屋でも「公衆の娯楽を目的とした業務」に満15才未満の児童を使用する事が禁止された。1960年(昭和35年)には『障害者の雇用の促進等に関する法律』が施行され、検査に応じない・公の認可のない見世物小屋に対しての罰則・摘発が可能となり、更に1970年(昭和45年)施行の『障害者基本法』によって障害者に対し個人の尊厳の尊重と生活を保障される権利について明確に規定された結果、昭和50年代以後には、前述の法令に基づいた「不適当な環境」を理由とした未認可状態で身体障害者を舞台に出演させて見世物とする事などに対して取締りが行なわれるようになった。 主な見世物は以下である。なお、現在では興行されていない見世物も含む。 貝細工の見世物(江戸期にはこれが代名詞的存在だった。動きの無い静物) へび女(例:体に蛇を巻きつけたりかじりついたりする、蛇の入れ墨) タコ女・タコ娘 奇形動物(珍獣)・ 双頭の動物 生人形(松本喜三郎・安本亀八の作が全国を巡業した。後の菊人形につながる) 芸人間ポンプ 人間火炎放射器 犬の曲芸 それつけやれつけ 玉乗り 角兵衛獅子
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