日本におけるペスト発生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 02:12 UTC 版)
日本においてペストは、明治以前の発生は確認されていない。最初の報告は、1896年(明治29年)に横浜に入港した中国人船客で、3月29日に横浜に上陸し、同地の中国人病院で3月31日に死亡した。1899年(明治32年)9月、横浜沖での「亜米利加丸」検疫で船倉から高熱を出している中国人船員が見つかり、横浜海港検疫所の施設に隔離して検査したところペストと判明。関東上陸は阻止された。この時、検疫官補だったのが野口英世である。 だがその後、大小の流行が複数回あった。1899年(明治32年)11月が最初の流行で、台湾から門司港へ帰国した日本人会社員が広島で発病して死亡。その後、半月の間に神戸市内、大阪市内、浜松で発病、死者が発生した。1899年は45人のペスト患者が発生、40人が死亡した。 香港でペスト菌を発見した北里柴三郎の指導下、当局はペストの蔓延防止に努めた。翌年1月15日より東京市は予防のため、ネズミを1匹あたり5銭で買い上げた。火葬場で焼却されたネズミの霊を供養するための鼠塚が1902年(明治44年)、渋谷区の祥雲寺境内に建てられた。1901年(明治34年)5月29日、警視庁はペスト予防のため、屋内を除き跣足(裸足)での歩行を禁止(庁令第41号)。車夫・馬丁などの裸足を厳禁した。『日本』(新聞)によれば、10月6日横浜でペスト患者が発生し、10月30日発生地域の家屋12戸を焼き払い、12月24日には東京でペスト患者が発生した。最大の流行は1905-1910年の大阪府で、958名の患者が発生し、社会的に大きな影響を与えた。この際、紡績工場での患者発生が続いたことから、ペスト流行地のインドから輸入された綿花に混入したネズミが感染源というのが通説になった。1914年4月に東京でペストが流行し、年末までの死者は41人。1899年から1926年までの日本の感染例は2,905名で、死亡例2,420名が報告された。 1927年(昭和2年)以降は国内感染例はない。
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