日本におけるデモ
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日本ではデモシーンのような文化は発生しなかった。デモシーンの中心地は欧州であるが、初期のデモはコモドール64やApple IIやZX Spectrum等の、日本で全く普及していない海外製ホビーパソコンで開発されていた。当時の日本はNECのPC-8801シリーズやPC-9801シリーズなど日本でしか普及していないパソコン御三家が主流であり、また日本発の国際標準規格であるMSXは国外どころか日本でも主流足りえていないという状況で、1980年代中盤以前の日本には海外製デモを閲覧する環境は無く、従って欧州のデモシーンの動きが日本まで知られる事もなかった。 しかし1985年に発売され、欧州のデモシーンを席巻したAmigaは日本人のアーティストらを中心にいくらか普及したため、彼らを通じてAmiga用の「メガデモ」が1980年代末ごろに日本に流入した。Amigaの熱狂的なファンとして知られる平沢進は80年代後半ごろから秋元きつねら周囲の人に『Jaggler』などのメガデモを見せびらかしており[要出典]、1990年代中番にはビデオジョッキーの藤原ヒロシがスペースシャワーTVの番組「BUM」で『State of the Art』などの著名なメガデモをいくつか紹介するなどしている。[要出典]PC-demoがインターネットを通じて流通するようになった現在でも、その頃の名残でデモ全般を「メガデモ」と呼ぶことも多い。 1983年ヨーロッパ最大の家電メーカーであるオランダのフィリップスがMSXをニューメディアと位置づけ販売を開始した。その為、オランダやスペインやブラジルを中心にヨーロッパや南米でMSXは普及した。特に1980年代、MSXはオランダで最も人気のあったコンピューターであり、コモドール社のコモドール64やシンクレア社の ZX Spectrum よりも人気があった。ヨーロッパでメガデモのブームがおこると、ヨーロッパのMSXクリエイターも各種メガデモを開発した。MSX Club GHQという同人サークルが1980年代後半に会報誌や「MSX・FAN」や「MSXマガジン」などの雑誌を通じて欧州製MSXのメガデモを紹介したり「ソフトベンダーTAKERU」にて同人ソフトの扱いで販売したりもしていた。特に「MSX・FAN」誌では海外MSXシーンの動向を紹介する「KOKUSAIKA」と言うコーナーでこのサークルの活動がしばしば取り上げられ、さらには「MSX・FAN」1992年11月号の付録ディスクとして、MSX Club GHQによる『ANMA'S AMUSEMENT DISK』が収録されるといった動きがあった。『ANMA'S AMUSEMENT DISK』は後にパソコン通信上に流出して広く閲覧された。当時まだラスタースクロールなどの技術が日本では知られていなかった為、日本のMSXユーザーを大いに驚かせた。MSX発祥の地である日本ですら、MSX用デモよりAmiga用デモの方が有名であることは『MSXマガジン』の編集者も認めるところであるが、MSX20周年である2003年にはオランダでなおも活動するデモグループによる『MSX 20th Anniversary Demo』が『MSXマガジン』によって日本に紹介され、その健在振りを示した。 現在の日本では動画共有サイトの存在によって実機を所有していなくともデモを閲覧することが可能である。またネット掲示板やtwitterの存在によってデモ製作者同士の連携も容易となっている。2ちゃんねる掲示板にはデモシーンに関するスレッドがあり、2009年には有志によってオンラインでのデモパーティ「2chparty」が開かれた。2011年にはついにオフラインにて、日本初の本格的なデモパーティとなる「Tokyo Demo Fest」が開かれた。
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