日本におけるシースカウト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/10 19:27 UTC 版)
「シースカウト」の記事における「日本におけるシースカウト」の解説
「日本海洋少年団連盟」も参照 1924年12月、油谷堅蔵海軍少将、小山武海軍少将、原道太海軍大佐らによって大日本東京海洋少年団が結成されたのが、日本におけるシースカウトのあけぼのである。1925年3月、少年団日本連盟に海洋部が設置された。1927年8月、少年団日本連盟海洋部と江田島海軍兵学校の主催により初の全国海洋少年団合同訓練が行われ、887名のスカウトが参加した。また同年9月には北海道大学水産専門部から忍路丸(翌1928年に和爾丸と改名)が払い下げられた。 1928年、少年団日本連盟第三回総会において日本連盟規約が改正され、加盟団はボーイスカウト、シースカウト(海洋少年団=海洋健児部)、スカウトのおきてを遵用しない少年団に分類されることとなった。海洋健児部の指導者には海軍関係者が多く、そのため1930年代におこる大日本少年団連盟への陸軍の干渉を嫌い、1938年には大日本海洋少年団連盟として分離独立した。大日本海洋少年団連盟は1941年の大日本青少年団結成には加わらず、1945年6月に解散するまであくまでも独立した青少年団体として存在した。 戦後、占領軍の海軍解体方針のためにCIEは海洋少年団の復活を認めず、海洋少年団が復活するのは占領終了後の1951年のことである。1951年5月、海上保安庁と平和の海協会によって少年海の会が発足し、同年7月5日に名称を日本海洋少年団連盟と変更した。現在はスカウティング組織ではなく、国際海洋少年団協会 (ISCA) に所属する シー・カデット(英語版)としての活動を行っている。 戦後のボーイスカウトにおいては、シースカウトは海洋を主にスカウト活動の場とするベンチャースカウトやローバースカウトのこととされる。ボーイスカウト日本連盟の教育規定にはシースカウトの制服や進歩課目の具体的な定めはないが、一般に独自のユニフォームや海洋訓練を実施するプログラムをもっている。沖縄県で初めて結成され、次いで兵庫県西宮市(日本ボーイスカウト兵庫連盟西宮第8団)に誕生したが、何れも現存しない。
※この「日本におけるシースカウト」の解説は、「シースカウト」の解説の一部です。
「日本におけるシースカウト」を含む「シースカウト」の記事については、「シースカウト」の概要を参照ください。
- 日本におけるシースカウトのページへのリンク