日本におけるジュークボックス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 16:05 UTC 版)
「ジュークボックス」の記事における「日本におけるジュークボックス」の解説
日本には戦後に進駐軍が導入したといわれ、1970年代まで飲食業やホテルなどに設置されて全盛期を迎えたといわれている。太東貿易(後のタイトー)、レメーヤー&スチュアート社(後のサービスゲームズ。後のセガゲームス)、V&V社の3社が最大手として、米国よりジュークボックスを輸入していた。 1960年代には国産化が始まり、1962年にはレメーヤー&スチュアート社(当時の社名は日本娯楽物産)より国産初のジュークボックス「セガ1000」が発売されている。セガ1000は日本で大ヒットし、日本娯楽物産も社名をセガに変更した。しかし1960年代後半ごろよりピンボールやエレメカなどにアミューズメント機器の主役は移り、1967年にはV&V社の社員の中山隼雄(後のセガ社長)が独立して日本初のゲーム機のディストリビューターであるエスコ貿易を設立した他、タイトーやセガもゲーム機のディストリビューションおよび自社開発を行うようになる。 他にも、現在ゲームソフトメーカーやゲームセンター、アミューズメント施設を運営する企業の一部が創業当初はジュークボックスに何らかの形(輸入・販売など)で携わっていた。 セガゲームス(ジュークボックス時代はサービスゲームス) タイトー(ジュークボックス時代は太東貿易) アルゼ(ジュークボックス時代はユニバーサル) コナミホールディングス(ジュークボックス時代はエンタプライズ) 2008年にはセガトイズからwurlitzerのデザインを模した「ホームジュークボックス」が発売されているが、ジュークボックス事業は現在のセガグループの主力ではなく、あくまでアンティーク風おもちゃ(レトロおもちゃ)の一つとして扱われている。なお、SEGA 1000は現存が確認されておらず、現存する国産最古のジュークボックスは日本ビクター製のJB-5000となる。
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