日本におけるスキンヘッド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 06:49 UTC 版)
「スキンヘッド」の記事における「日本におけるスキンヘッド」の解説
江戸時代、僧侶(天台宗系山伏はその限りではない)、医者、俳句や茶道の宗匠、按摩(男)などは髪を剃り上げるのが普通だった。また髪が抜けてもはや貧相な丁髷も結えなくなった町方の老人がさっぱりと頭を剃ってしまう場合も多かったが、武家はそういうわけにも行かず入れ毛などで無理やり髷を結っていた。 女犯の現場を押さえられたら重罪となる僧侶が遊郭へ登楼する場合、鬘ではすぐにばれてしまうため変装用の衣装一式を貸す貸衣装屋に寄って同じく禿頭の宗匠や医者に変装することが多かった。宗匠頭巾や十徳に着流しの宗匠姿か、脇差を落としざしにし気取った姿の医者か選ぶのだが、脂ぎった不良坊主は恰幅がよく風流な宗匠姿が似合わなかったと見えて、医者姿に変装するものが多かったらしい。川柳にも「中宿の内儀おとけて脈をみせ」「船宿で化けやれと師のたまわく」などと僧侶の女遊びをからかった句が多く見える。 また、特に職業として頭を剃るものは見た目を良くするために禿頭をそれなりに丁寧に手入れした。 まず艶を出すために植物油(椿油など)を頭に広げ柔らかい布で丁寧に磨くというもので、硬くなった頭皮に艶が出て金属の表面のように見えることから薬缶頭などとも呼ぶ。(江戸時代の流行語「とんだ茶釜が薬缶に化けた」笠森お仙の項参照)若々しさを出したい場合には、頭に女性が黛に使う藍色の絵具(青黛)を薄く塗りつけて剃って間もない剃り後のように見せるものも多かった。
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