日本におけるシルエットフォーミュラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 01:12 UTC 版)
「特殊プロダクションカー」の記事における「日本におけるシルエットフォーミュラ」の解説
1979年(昭和54年)から富士グランチャンピオンレース(富士GC)のサポートレースとして「富士スーパーシルエットシリーズ」(富士SS)が開始される。当初はTS(特殊ツーリングカー)クラスのマツダ・サバンナRX-3、GTクラスの日産・フェアレディZがそのまま参加したが、その後日産からは710型やPA10型のバイオレットターボが参戦し、トヨタはトムスがシュニッツァーチューンのRA20系セリカLBターボを逆輸入して参戦した。その後日産はS110型シルビア・ガゼールターボを、トヨタは童夢製作のRA40系セリカターボを投入する。 1982年(昭和57年)には、日産はR30型スカイライン、S110型シルビア、910型ブルーバードを投入。これら「日産ターボ軍団」とBMW・M1の激突で、富士や筑波サーキットで開催されたスーパーシルエット・レースは大いに人気を博した。これがきっかけとなり、この後日産は1984年(昭和59年)にNISMOを設立するなど、本格的なワークス活動を再開することになる。 国際的には1982年(昭和57年)一杯でカテゴリが消滅したため、日本におけるシルエットフォーミュラ(スーパーシルエット)レースも段階的に縮小し、シリーズ戦は1983年(昭和58年)限りで終了(WEC-JAPANには特認で「GT-JAPAN」クラスが設けられた)。1984年(昭和59年)には2戦だけが開催され、ここで完全に終焉となった。 その後、1999年(平成11年)に全日本ツーリングカー選手権の後継レースとして「SSCC(Super Silhouette Car Championship)」なるレースが企画されたが、このレースで使われる予定だった「スーパーシルエット」は市販車とは別のパイプフレームシャシを持つなど、むしろストックカーに近く、1980年代のスーパーシルエット(シルエットフォーミュラ)とは全く異なっていた。最終的にシリーズ開催は実現せず、マシンもトヨタ・チェイサーベースのプロトタイプが製作されるに留まった。
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