新婦人協会史料
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/05 01:10 UTC 版)
児玉勝子「新婦人協会」を元に作成、一部加筆。 協会創立当初の役員 理事:平塚明(平塚らいてう)、市川房枝、奥むめお 評議員:坂本真琴、加藤さき子、平山信子、山田わか、吉田清子、田中孝子、矢部初子、塚本なか子、山田美都 綱領 一、婦人の能力を自由に発達せしめるため男女の機会均等を主張すること 一、男女の価値同等観の上に立ちてその差別を認め協力を主張すること 一、家庭の社会的意義を闡明(せんめい、明らかに)すること 一、婦人、母、子供の権利を雍護し、彼等の利益の増進を計ると共に之に反する一切を排除すること 宣言 「婦人も亦婦人全体のために、その正しき義務と権利の遂行のために団結すべき時が来ました。今こそ婦人は婦人自身の教養、その自我の充実を期するのみならず、相互の堅き団結の力によって、その社会的地位の向上改善を計り、婦人としての、母としての権利の獲得のため、男子と協力して戦後の社会改造の実際運動に参加すべき時であります。 若しこの時に於いて、婦人が立たなければ、到来の社会もまた婦人を除外した男子中心のものとなるに相違ありません。そしてそこに世界、人類の禍の大半が置かれるのだと思います。 私共は日本婦人がいつまで無知無能であるとは信じません。否、既に我が婦人界は今日見るべき学識あり、能力ある幾人かの新婦人を有ってゐます。しかも私共は是等の現われたる婦人以外に、なお多くの更に識見高き、思慮あり、実力ある隠れたる婦人のあることを疑ひません。 しかるに是等の婦人の力が一つとして社会的に若しくは社会的勢力となって活動して来ないのは何故でありませう。まったく婦人相互の間に何の連絡も無く、各自孤立の状態にあって、少しもその力を婦人共同の目的のために一つにしやうというやうな努力もなく、又そのための機関もないからではないでせうか。私共はさう信ずるものであります。 是私共が微力を顧みず、同志を糾合し、つとに婦人の団体的活動の一機関として「新婦人協会」を組織し、婦人相互の団結をはかり、堅忍自給の精神をもって、婦人擁護のため、その進歩向上のため、あるいは利益の増進、権利の獲得のため努力し、その目的を達っせんことを期する所以であります。」 ※1920年(大正9年)3月28日発会式において決定。その他に規約全21条。1920年4月28日の第1回評議員会により、研究部を組織する事、機関誌『女性同盟』の発行等を決議。同年5月10日正会員会により研究部を組織し、研究部内規(全13条)を定める。
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