新婦人協会との確執
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 01:38 UTC 版)
赤瀾会のメンバーは、一足先に発足していた新婦人協会(平塚らいてう、市川房枝、奥むめおらが参加)に対して、強い対抗意識を持っていた。婦人参政権(治安警察法5条改正が当面の課題)実現と花柳病(性病)感染男子との結婚規制という新婦人協会の運動課題はブルジョワ的、中産階級的で、生ぬるいと感じられたからだという。エリート女性進出による男性を見下した参政権論に反発を感じる旨の発言を、メンバーのひとりであった堺真柄(近藤真柄)が『わたしの回想(下)』書き残しており、また山川菊栄は、雑誌『太陽』大正10年7月号で『新婦人協会と赤瀾会』と題する文章を発表し、協会の活動を「労して益なき議会運動」「ブルジョア婦人の慈善道楽」と批判した。現行社会制度の枠の中だけで女性解放を唱えて運動するのは無意味だというのである。
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