新内町とは? わかりやすく解説

新内町

読み方:シンウチマチ(shin’uchimachi)

所在 徳島県徳島市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒770-0845  徳島県徳島市新内町

新内町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/15 06:03 UTC 版)

日本 > 四国地方 > 徳島県 > 徳島市 > 新内町
新内町
日本
都道府県 徳島県
市町村 徳島市
地区 内町地区
人口
2025年令和7年)1月徳島市の調査より
 • 合計 231人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
770-0845

新内町(しんうちまち)は、徳島県徳島市町名。現行行政地名は新内町一丁目及び新内町二丁目。2025年1月現在の徳島市の調査による人口は231人、世帯数は127世帯。郵便番号は〒770-0845。

地理

徳島市の中心駅徳島駅の南方に位置し、内町地区に属しその南部にあたる。

東西に伸びる通りの両側に細長く延び、東が1丁目・西が2丁目と並ぶが、1丁目と2丁目の間は南北に伸びる両国本町で分断されている。

同じく東西に伸びる、北の中通町と南の南内町に挟まれている。さらに北の町も含め、この一帯の町はいずれも1~3丁目からなるが、南内町の南の新町川が上流(西)で北へ曲がり陸地を狭くしており、そのため西端の3丁目は新内町にはない。通りの西端は丁字路で終わっている。

東は富田橋通り沿いに南北に伸びる幸町である。通り自体はさらに続き、幸町2丁目と3丁目を分け、牟岐線アンダーパスする歩行者・自転車用道路に繋がる。

歴史

江戸時代は、新内町・南内町幸町3丁目(のちには加えて中洲町)一帯は、塀の高い武家屋敷の裏だったため、塀裏(へうら)と呼ばれた。

寛文年間(1661年1672年)、現在の新内町2丁目~南内町2丁目に徳島藩の牢屋敷が置かれた。

明治以降は大半は塀裏町となり、一部は裏ノ町・中通町・中魚町(現在の幸町公園付近の富田橋通り沿いにあった魚商人町)だった。1941年、新内町となった。1975年、両国橋通り沿いが両国本町となった。

施設

参考文献

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