揖斐線・谷汲線時代
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「愛知電気鉄道電7形電車」の記事における「揖斐線・谷汲線時代」の解説
瀬戸線が栄へ地下線で延長されるのに先行して1978年3月19日に実施された同線の直流600 Vから直流1,500 Vへの架線電圧昇圧と、これに伴う本線系統からの3780系・3730系の転入、および瀬戸線向けとしては1936年のガソリンカー以来42年ぶりの完全新車となる6600系の新製投入によって、同線在籍のク2300形およびク2320形はペアを組むモ900形と共に全車が瀬戸線運用から撤退となった。電動車であり車齢の若いモ900形については7両全車が当時名鉄グループ傘下にあった北陸鉄道と福井鉄道へ譲渡されたが、制御車でしかも最初期の半鋼製車であったク2300形およびク2320形については、ク2300形全車とク2320形ク2321・ク2322・ク2324の合計6両が他社へ譲渡されることも他線区へ転用されることもないまま廃車となった。一方ク2320形の残る2両、つまりロングシートのまま特急に使用されていたク2323と一般車で高運転台仕様のク2326の2両については再転用が図られ、揖斐線・谷汲線へ投入された。 揖斐線・谷汲線は瀬戸線と同様に本線のみならず他の各支線とも直接接続せず、岐阜市内線を介して名古屋本線や各務原線と連絡するという立地条件の悪さなどから従前より「名鉄の離れ小島」とまで呼ばれ、自動車が大衆に普及した時代には路線廃止が検討されるほどの状況であった。しかし起死回生策として1967年より運転を開始した市内線直通急行が一定の成功を収めたことから路線廃止の議論は沙汰止みとなり、1970年代に入ると1965年以降事実上手つかずのまま放置されていた車両の体質改善がようやく実施されることになった。これに伴い、瀬戸線で3700系投入に伴い余剰となった、あるいは昇圧工事実施に伴い不要となったク2320形が、1973年と1978年の2回に分けて2両ずつ揖斐線・谷汲線に投入された。 特に揖斐線・谷汲線への投入第2陣となったク2323・ク2326の転用時には、従来白熱電球を使用していた前照灯が定電圧回路付きのシールドビームへ交換された。また同じ1978年には直流600 V電化線区用として残存するク2320形全車を対象として客用扉の自動扉化が実施され、併せて自動ワイパーが妻面の運転台側妻窓に取り付けられている。 さらに一部の車両については運転台側妻面窓枠のアルミサッシ化や戸袋窓のHゴム支持化改造工事が実施されている。 その後はこれら残されたク2320形4両、すなわちク2323・ク2325 - ク2327がモ750形や片運転台式に改造されたモ700形と連結して揖斐・谷汲線で運用された。 1997年4月に連結運転可能な岐阜市内線・揖斐線直通車であるモ780形が新造されるとク2320形は全車とも同年4月5日のダイヤ改正を前に定期運用を離脱した。なお、その前日の4月4日にはさよなら運転が実施されている。同年5月20日付で4両全てが廃車され同形式は形式消滅となった。 なお、これに先立ってモ3200形やモ3250形(初代)からの機器流用で新造された3730系が1996年に全廃されており、結果的に機器供出元となった老朽車両が機器供出先でより新しく状態の良い車体を備える車両の全廃後も約1年に渡って継続使用されるという特異な状況となった。 愛知電気鉄道における電7形・附3形・デハ3090形としての新造以来71年の長期にわたって使用されたが保存車はなく、現存しない。
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