揖斐川電気・電気興業所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 09:28 UTC 版)
「イビデン」も参照 1926年(大正15年)10月、当時経営不振に陥っていた揖斐川電気株式会社(社名は揖斐川電気工業を経て1982年よりイビデン)から資本参加を打診された東邦電力は同社への出資を受諾、11月に役員を送って経営権を掌握した。同社は揖斐川(岐阜県)開発による電気供給事業と自社電力による化学事業を柱としていたが(イビデンの水力発電所参照)、第一次世界大戦後の反動不況で化学事業が極度の不振に陥り、業績が低迷していた。東邦電力の傘下に入ってからは新経営陣により負債の整理が進められた。 1928年(昭和3年)9月、揖斐川電気は東邦証券保有より大垣瓦斯電気(現・大垣ガス)と株式会社電気興業所の株式を譲り受けた。この電気興業所は1922年(大正11年)9月に設立。岐阜県大垣市および武儀郡美濃町(現・美濃市)、福岡県糟屋郡多々良村(現・福岡市)の計3か所に工場を持ち、大垣工場・美濃町工場にて電気炉による炭化カルシウム(カーバイド)製造、大垣工場にて耐火煉瓦製造、福岡工場にて硬化煉瓦製造をそれぞれ行っていた。うち美濃町工場は東邦電力が土地・建物一切を所有しており、1923年(大正12年)1月よりその経営を受託していた。1939年(昭和14年)8月、揖斐川電気はこれら電気興業所の全事業を買収した。 電力国家管理では日本発送電・中部配電へ設備を出資し供給事業を失ったが、東邦電力とは異なり化学事業によって存続した。東邦電力解散に伴い、その持株は揖斐川電気の需要家でもあった大日本紡績(現・ユニチカ)が譲り受けている。
※この「揖斐川電気・電気興業所」の解説は、「東邦電力」の解説の一部です。
「揖斐川電気・電気興業所」を含む「東邦電力」の記事については、「東邦電力」の概要を参照ください。
- 揖斐川電気・電気興業所のページへのリンク