揖斐川総合開発事業
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1971年(昭和46年)、建設省による特定多目的ダム事業として事業計画が発表された。当時は高度経済成長に伴い中京工業地帯が急成長して中京圏の人口が急増し、すでに愛知用水が完成していたものの上水道・工業用水道はしばしば水不足に陥っていた。このため木曽川水系は1962年(昭和37年)に施行された水資源開発促進法に基づく開発指定水系となり、愛知用水などは水資源機構の前身である水資源開発公団に事業移管され、総合的な水資源開発が行われていった。 こうした経緯から、1973年(昭和48年)3月に木曽川水系における水資源開発の基本施策である木曽川水系水資源開発基本計画が一部改訂となり、徳山ダムは阿木川ダム(阿木川)とともに建設省から水資源開発公団に事業移管された。1976年(昭和51年)には水資源開発促進法に基づく多目的ダム事業に変更され、「揖斐川総合開発事業」の中心として正式着手の運びとなった。 水没地区の住民との長期にわたる補償交渉(後述)を経て、2000年(平成12年)より本体工事に着手し、本体盛り立てが2006年(平成18年)に完了。同年9月25日より試験湛水(ダムに水を貯めて堤体の安全性を確認する作業)が行われ(9・25試験湛水)、2008年(平成20年)5月にダムの安全性の確認が終了し、同年10月13日に完成となった。なお少雨により試験湛水が予定より遅れたため、2008年4月に完了を待たずに徳山ダム管理所となった。またダム本体の工事と同時に国道417号の付替工事も行われ、こちらは徳山バイパスとして2006年9月22日に全線開通した。 本体盛り立て工事(2006年) 試験湛水(2007年) 試験放流(2008年) 花房山から望むダム湖と国道417号の徳之山八徳橋(2012年)
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