揖斐川総合開発事業とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 揖斐川総合開発事業の意味・解説 

揖斐川総合開発事業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:39 UTC 版)

徳山ダム」の記事における「揖斐川総合開発事業」の解説

1971年昭和46年)、建設省による特定多目的ダム事業として事業計画発表された。当時高度経済成長に伴い中京工業地帯急成長して中京圏人口急増し、すでに愛知用水完成していたものの上水道工業用水道はしばし水不足に陥っていた。このため木曽川水系1962年昭和37年)に施行され水資源開発促進法に基づく開発指定水系となり、愛知用水などは水資源機構前身である水資源開発公団事業移管され、総合的な水資源開発が行われていったこうした経緯から、1973年昭和48年3月木曽川水系における水資源開発基本施策である木曽川水系水資源開発基本計画一部改訂となり、徳山ダム阿木川ダム阿木川とともに建設省から水資源開発公団事業移管された。1976年昭和51年)には水資源開発促進法に基づく多目的ダム事業変更され、「揖斐川総合開発事業」の中心として正式着手運びとなった水没地区住民との長期にわたる補償交渉後述)を経て2000年平成12年)より本体工事着手し本体盛り立て2006年平成18年)に完了同年9月25日より試験湛水ダムを貯めて堤体安全性確認する作業が行われ(9・25試験湛水)、2008年平成20年5月ダム安全性の確認終了し同年10月13日完成となった。なお少雨により試験湛水予定より遅れたため、2008年4月完了待たず徳山ダム管理所となった。またダム本体工事同時に国道417号の付替工事行われ、こちらは徳山バイパスとして2006年9月22日全線開通した。 本体盛り立て工事2006年試験湛水2007年試験放流2008年花房山から望むダム湖国道417号徳之山八徳橋2012年

※この「揖斐川総合開発事業」の解説は、「徳山ダム」の解説の一部です。
「揖斐川総合開発事業」を含む「徳山ダム」の記事については、「徳山ダム」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「揖斐川総合開発事業」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「揖斐川総合開発事業」の関連用語

揖斐川総合開発事業のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



揖斐川総合開発事業のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの徳山ダム (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS