拡大造林と分収造林
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 01:07 UTC 版)
日本では戦後、雑多な広葉樹主体の里山を伐採し、木材利用を目的とした針葉樹の人工林に転換していく一連の流れ、いわゆる拡大造林政策の時に分収造林の仕組みが多用されることになる。現在全国各地にある日本の分収林の多くがこの政策により誕生した。 1958年には分収林特別措置法(昭和33法律第57号)が作られ、これを根拠に国や都道府県(数は少ないが市町村もある)が地上権を持ち、土地は民間人から数十年間の無償貸与を受ける官行造林・県行造林という契約で広葉樹伐採から針葉樹への転換が進められた。分収林の仕組みを使うことで、土地所有者は植栽や間伐の金銭的な負担無しで(固定資産税などの土地の維持費は土地所有者負担)、数十年後には価値の出るであろう針葉樹の森林を手に入れることができた。このため国の思惑通りに契約数と人工林面積は伸びていった。また、契約上は国や都道府県が植栽、下刈、間伐などの森林経営を行うことになるが、実際の作業は森林組合などに委託することになる(吉野の山守に相当する)。これらの団体を通じて山村地域に税金が流れ、都市部と山村の間での「富の再分配」の一つの流れとなることも期待された。 しかし、木材価格の下落と各種作業にかかる人件費の高騰により、伐採後の樹木の売却益(正確にはこれを分収したもの)を持ってしても、今までに手入れにかけた金額に届かずに国や都道府県としては赤字になることが多くの契約地で発生しており税金の浪費だとして問題になっている。分収林の契約と経営を担う公社を設立し分収造林を行っている道府県も多い(国も森林開発公団(のちに緑資源公団、緑資源機構と名前を変え現在は森林整備センター)を設立して契約を推進した)が、2007年に岩手県と大分県、2017年には山梨県の公社が解散して分収林の経営は県に移っている。公社及び都道府県管轄の分収造林の経営の立て直し策は、分収割合の見直し、売却益ではなく材積分収への変更、生育不良や道路から遠く搬出困難な不採算契約地の契約解除、他事業での利益確保など団体によって様々である。植栽や下刈などの手間と費用が最もかかる段階は過ぎており、今後の育林費用はほとんどかからないことを見込んだうえで、伐採を先延ばし木材価格の上昇を待つという契約変更は多くの団体で行われているが、早期の土地返還を求める土地所有者は難色を示すこともある。また、適当な時期に除伐や間伐などの手入れが行われず当初予定よりも価値の低い森林が出来てしまったなどとして、都道府県や国に対して分収林経営者としての資質を疑い不満を持つ土地所有者もいる。 造林公社が建てた土地の境界杭 皆伐跡地を対象に分収契約での造林を行う 林道よりも規格の低い作業道の開設 食害防除の白い筒から枝葉を伸ばす植栽木 育林中の単一樹種の人工林 切捨間伐施工地
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