招致運動の経緯
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「盛岡オリンピック構想」の記事における「招致運動の経緯」の解説
1985年2月8日の「盛岡冬季オリンピック招致を語る会」設立を経て、1986年2月12日に「オリンピック冬季競技大会盛岡招致委員会」が発足。同年12月、盛岡市が JOC に「第18回オリンピック冬季競技大会開催都市立候補申請書」を提出。長野市、山形県山形市に続いて3都市目であった。 しかし1988年6月1日、JOC の委員会で国内開催候補都市を決定する投票が行われた結果、長野市34票・盛岡市7票・北海道旭川市4票・山形市0票となり、盛岡は落選した。候補都市となった長野市は1991年6月15日、第97回国際オリンピック委員会総会にて開催都市に選出され、長野オリンピックの開催が決定した。
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招致運動の経緯
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「ラグビーワールドカップ日本招致活動」の記事における「招致運動の経緯」の解説
第7回大会(2011年)の招致活動 2004年(平成16年)9月22日 - IRBへ第7回大会(2011年)への招致意思を表明。 9月30日 - 第7回大会招致へ日本のほか、南アフリカ、ニュージーランドが意思表明していることが分かる。 10月18日 - 2011ラグビーワールドカップ日本招致委員会が発足。会長に森喜朗が就任。 2005年(平成17年)4月8日 - 小泉内閣により閣議了承。 5月9日 - 第7回大会への入札文書をIRBへ提出。 11月18日 - 第7回大会の開催国がニュージーランドに決定。 第8回大会(2015年)または第9回大会(2019年)の招致活動 2006年(平成18年)11月17日 - 日本ラグビーフットボール協会が第8回大会(2015年)への日本招致活動を正式決定。 2008年(平成20年)7月8日 - IRBが第8回大会(2015年)・第9回大会(2019年)の2大会の開催地を2009年(平成21年)7月に同時決定すると表明。 8月15日 - IRBが第8回大会の開催への意思表明をしたのは、オーストラリア・イングランド・アイルランド・イタリア・日本・スコットランド・南アフリカ・ウェールズの8ヶ国、第9回大会の開催は、オーストラリア、アイルランド、イタリア、ジャマイカ、日本、ロシア、スコットランド、南アフリカ、ウェールズの9ヶ国であることを公表。 9月30日 - ジャマイカが立候補を断念。それ以外の国は正式立候補。 2009年(平成21年)5月8日 - 第8回大会、第9回大会への入札文書をIRBへ提出。 5月9日 - イングランド、イタリア、日本、南アフリカの4協会が第8回大会へ、イングランドを除く3協会が第9回大会へ入札していることが分かる。 6月30日 - ラグビーワールドカップを運営するラグビーワールドカップ・リミテッド(RWCL)が第8回大会をイングランド、第9回大会を日本で開催することをIRBに推薦する。 7月28日 - IRBの理事会にて、開催地として第8回大会にイングランド、第9回大会に日本を推薦する案が承認された。
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招致運動の経緯
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「福岡オリンピック構想」の記事における「招致運動の経緯」の解説
2005年9月22日 - 福岡市議会でオリンピック開催立候補を表明 2005年10月13日 - 招致検討委員会設置 2006年3月4日 - 招致推進委員会設置 2006年4月24日 - JOCに対して「立候補意思表明書」を提出し正式立候補した。 2006年8月30日 - 東京都内で行われた国内開催候補地を決める投票で東京都に敗れる(東京都が33票に対し福岡市は22票)。
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招致運動の経緯
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「旭川オリンピック構想」の記事における「招致運動の経緯」の解説
1984年2月2日 - 「旭川冬季オリンピック招致を考える会」が発足。 1985年10月8日 - 「旭川冬季オリンピック招致期成会設立準備委員会」発足。 1986年4月21日 - 「旭川冬季オリンピック招致検討会」設立。 11月21日 - 「招致検討会」が招致を可能とする報告書を旭川市長に提出。 12月22日 - 旭川市議会が「旭川冬季オリンピック招致に関する決議」を可決。 12月25日 - 旭川市が日本オリンピック委員会(JOC)に「第18回オリンピック冬季競技大会開催都市立候補申請書」を提出。長野市、山形市、盛岡市に続いて4都市目。 1988年6月1日 - JOCの委員会における投票により長野が国内開催候補都市に選出された。得票数は長野34票、盛岡7票、旭川4票、山形0票。 1991年6月15日 - 第97回国際オリンピック委員会総会にて、1998年長野オリンピックの開催が決定。 1998年2月 - 長野オリンピックが長野市を中心とする長野県内で開催。
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