招致活動の経過とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 招致活動の経過の意味・解説 

招致活動の経過

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/24 02:22 UTC 版)

1960年東京オリンピック構想」の記事における「招致活動の経過」の解説

1952年5月19日 - 東京都議会オリンピック招致決議6月23日 - 日本体育協会行われた国際委員会理事会合同会で第3回アジア競技大会開催地として東京都推すことを決定7月2日 - 1960年夏季オリンピック東京招致のため東京都春彦一副知事東龍太郎IOC委員日本体育協会会長高石真五郎IOC委員スイスローザンヌ出発7月4日 - 都議会1960年オリンピック招致委員会都議会全員構成し、その中から実行委員25名を選ぶことを決定7月10日 - 東、高石IOC委員と春東京都副知事がエドストレームIOC会長訪問7月12日 - IOC実行委員会が、1960年夏季オリンピック開催地の決定3年後延期7月16日 - IOC総会次期IOC会長アメリカアベリー・ブランデージ選出7月19日8月3日 - ヘルシンキオリンピック開催7月24日 - ヘルシンキアジア競技連盟総会開かれ1958年アジア競技大会日本で開くことを決定開催地は日本NOC決めることになる。 8月9日 - 都議会オリンピック招致実行委員会委員長中塚栄次郎選出11月28日 - 日本体育協会国際委員会は、第3回アジア大会東京で開くことを決定1953年3月7日 - 1960年夏季オリンピック招致決議衆議院可決12月16日 - 都議会オリンピック招致実行委員会会場候補地最終案として明治神宮外苑決定1954年10月9日 - IOC事務局東京1960年大会の開催地として立候補した発表12月2日 - 衆議院予算委員会各派共同提案国立競技場神宮外苑建設する案が全会一致可決12月11日日本体育協会競技団体打合せ会が開かれ招致成功時の競技種目、期間などを決めた。 イタリアオリンピック委員会1960年夏季オリンピックローマ招致することを正式に決定1955年4月21日 - ブランデージIOC会長来日翌日記者会見において、東京1960年オリンピック招致について、競争激しく困難との見通し語った6月15日 - フランス・パリ開催された第50IOC総会において投票が行われた。 投票結果都市NOC1回目 2回目 3回目 ローマ イタリア 15 26 35 ローザンヌ スイス 14 21 24 デトロイト アメリカ 6 11 ブダペスト ハンガリー 8 1 ブリュッセル ベルギー 6 メキシコシティ メキシコ 6 東京 日本 4

※この「招致活動の経過」の解説は、「1960年東京オリンピック構想」の解説の一部です。
「招致活動の経過」を含む「1960年東京オリンピック構想」の記事については、「1960年東京オリンピック構想」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「招致活動の経過」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「招致活動の経過」の関連用語

招致活動の経過のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



招致活動の経過のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの1960年東京オリンピック構想 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS