中塚栄次郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/08 06:08 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動中塚 栄次郎(中塚 榮次郎、なかつか えいじろう 、1874年(明治7年)12月17日 - 1970年(昭和45年)4月11日[1])は、日本の実業家、政治家。
来歴
栃木県安蘇郡新合村山形(現佐野市山形町)出身。渡米しコロンビア大学を卒業。帰国後、英文雑誌『ジャパン・マガジーン』社長となった。1925年-1959年、東京市会議員・東京都議会議員[2]。
1952年8月9日、都議会オリンピック招致実行委員会委員長に選任された[3]。
東京都教育委員会初代委員長、東京倉庫運輸顧問、東京オリンピック大会組織委員会嘱託を歴任した[2]。
著書
- 『欧米の物心両面に触れて』ジャパン・マガジーン社、1939年9月。
脚注
- 中塚栄次郎のページへのリンク