強制連行の語の成り立ちと大衆化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 20:57 UTC 版)
「強制連行」の記事における「強制連行の語の成り立ちと大衆化」の解説
鄭大均によれば、もともと1950年代の日本の〝コリア論者〟に強い影響を与えていた北朝鮮の媒体に「強制」あるいは「強制的」などという熟語で帝国主義者の行為を罵るという傾向があり、在日朝鮮人に関する国内の議論の中でも「強制徴兵制」や「強制捕虜」などという言葉が使われていた。 1950年代の終わりには、「朝鮮人強制連行」に近い表現も現れてくるが、既に中国人労務者に関する「中国人強制連行」という言葉が使われており、以下に登場する藤島宇内と朴慶植も『世界』の1950年5月号に掲載された「戦時下における中国人強制連行の記録」という論文に触発されて朝鮮人強制連行に関する論文や著書を執筆したと述べている。 朝鮮人強制連行の語は、1960年に藤島宇内が『世界』に発表した論文「朝鮮人と日本人-極東の緊張と日・米帝国主義」の中で用いられたのが最初だとする見方が多い。 朝鮮人強制連行の語が広まる切っ掛けになったのは、1965年に出版された朝鮮大学の教員、朴慶植の著書『朝鮮人強制連行の記録』だったとされている:298:124。鄭大均は、この言葉は、60年代の初期まで日本の左派サークルの一部にのみ知られるジャーゴン(隠語)だったとしている。朴の本は出版後日本の左派の間でバイブル化し、指紋押捺問題やソウルオリンピックで韓国が注目され、日本のマスメディアが日本の戦争犯罪や差別問題を語るようになる1980年代になって、朝鮮人強制連行/強制連行の語が、社会的に広まったと鄭は分析している。 サハリン残留韓国人支援運動に携わった新井佐和子は、『朝鮮人強制連行の記録』が世に出た時点では一部にしか知られていなかった「強制連行」の言葉が、吉田清治が現れた70年代後半から朴の本が体制批判の道具として使われ始め、一気に広まったようだと述べている:51。 ただし、これ以前に強制連行という言葉の使用例が全くないわけではなく、戦前にも独立した使用例は存在する。 1980年代の末に書かれた雁屋哲原作の漫画『美味しんぼ』には、戦時中高知県に強制連行されたと語る韓国人の老人が登場する(韓国食試合 3)。主人公が、日本政府に強制的に連行された結果、1911年には3,000人に満たなかった在日朝鮮人と在日中国人の人口が終戦時には230万人を超えたと解説し、韓国では誰もが知っている事実を学校で教わらない日本人が知らないでいる、というやり取りが続く:149-152。
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