幼少期と初期の軍歴
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「ヘルムート・レント」の記事における「幼少期と初期の軍歴」の解説
ヘルムート・レントは1918年6月13日にドイツのピレネー(現ポーランド・ゴジュフ・ヴィエルコポルスキ近郊)で生まれた。洗礼名はヘルムート・ヨハン・ジークフリード・レント。ルター派の牧師であったヨハン・レントの五子である。ヘルムート・レントには、二人の兄と二人の姉がいた。非常に敬虔なプロテスタントの家庭であった。父だけでなく、二人の兄や祖父たちもまたルター派の牧師である。 1924年の復活祭から1928年の復活祭まで、レントは地元ピレネーの公立小学校に通う。父と長兄ヴェルナーはレントがランズベルグの公立中学校の入学試験に受かるよう家庭教師をしていた。1933年2月、ヘルムートはヒトラーユーゲントの年少者向け下部組織であるユングフォルクへ入る。1933年3月から、彼は少年団のリーダーとして振る舞い、ユングフューラー(1933年3月-1935年4月1日)として旗持ち役を務める。1935年12月12日、17歳でレントは卒業試験に合格した。 試験の準備をするためユングフォルクはやめていた。翌年2月、国家労働奉仕団で8週間の奉仕義務を果たす。同年4月1日、少尉候補生としてルフトバッフェに入隊する。それは彼の父が望んだことではなかった。 彼の教練は1936年4月6日の航空士官学校にはじまる。同月21日には国家社会主義者として忠誠宣誓 を行う。飛行訓練が始まったのは7日である。彼がはじめて空を飛んだときに乗っていたのは、複葉機であるハインケル He 72「カデット 」だった。1936年9月15日、フォッケウルフ Fw 44 「スティグリッツ 」で彼ははじめての単独飛行をした、とレントの日誌にはある。またこの時までに、63回の飛行をしているとも書いている。飛行訓練と平行して、生徒としてのレントはオートバイや車の運転も学んだ。その実習中に事故に巻き込まれ、上肢にひどい怪我を負ってしまい、5ヶ月ものあいだ空を飛ぶことができなくなった。しかしこのことは彼の教練に悪影響を及ぼさなかった。1937年4月1日、追加試験が課されるという配慮がなされ、レントは二等見習士官になることができた。同年10月19日、レントは飛行訓練を完了し、A/B License?を受けた。彼がその翼をえたのは1937年11月15日のことである。翌年2月には一等見習士官に、同年3月には少尉に昇格している。この時までに、彼は8種類の飛行機で434回のフライトをこなしており、飛行時間は112時間と48分にのぼった。おもに日中のフライトで、単一エンジンの訓練機であった。 士官学校をでたのち、ヘルムート・レントはドイツ北東部にある重爆撃機のパイロットのための学校(Große Kampffliegerschule)へ配属される。偵察士として3ヶ月の訓練に身をおく(1938年3月1日-5月30日)。この課程を修了する直前に、レントは車に轢かれて下あごを骨折し、脳震盪および内出血をした。1938年7 月1日、レントは第132戦闘航空団 「リヒトホーフェン 」の第3飛行連隊に配属された。怪我から復帰して最 初のフライトは同月19日であった。 9月のはじめ、レントの中隊はドレスデンに近いグローセンハインに再配置される。チェコスロバキア併合に備え 、またそれを支援するためだった。1938年9月に彼の隊が再びランドルフに再配置されるまで、レントはこの争乱の地で何度も警戒飛行をおこなった。ズデーテン地方の併合をへて緊張が緩和されると、レントの部隊の機 はBf 108 「タイフーン 」に切り替えられていった。1938年11月1日、第132戦闘航空団はフュルステンバルデに移され、第141戦闘航空団と改名された。レントは第6中隊に所属した。 翌年にはさらに第76駆逐航空団と呼称がかわり、同時にチェコスロバキアのオロモウツに軍用飛行場が再配置された。またBf 110への再配備が行わる。レントがはじめて同機で飛んだのは1939年6月7日である。レントは大判空軍操縦士証明書(Luftwaffe Advanced Pilot's Certificate)をうけ、「C」(certificate)として 知られるようになる。それは複数エンジンの航空機に熟達しているということが認められたという事だ。Bf 110へ乗り換えたレントだったが、後部座席での無線手兼飛行射手がみつかっていなかった。しかし、1939年8月14日に上等兵ヴァルター・クービッシュと巡りあい、はじめて「M8+AH」に他の人間を置くことになる。1939年8月25日に第二 次世界大戦の序曲が奏でられ始めると、第76駆逐航空団はヴロツワフの南東にあるオラヴァを空域として配備された。
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