幼少期と初期の仕事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 02:34 UTC 版)
「W・エドワーズ・デミング」の記事における「幼少期と初期の仕事」の解説
アイオワ州スーシティで生まれたデミングは、同じアイオワ州 Polk City にある祖父の養鶏場で育ち、その後ワイオミング州パウエルに移住した。彼の父もウィリアムだったため、エドワーズと呼ばれるようになった(エドワーズは母の旧姓)。1917年、ワイオミング州ララミーのワイオミング大学に入学し、1921年に電気工学の学士号を得て卒業。1925年にはコロラド大学ボルダー校で修士号を取得し、1928年にはイェール大学で博士号を取得した。どちらでも数学と数理物理学の学位を取得している。数理物理学者としてアメリカ農務省に勤務し(1927年 - 1939年)、統計アドバイザーとしてアメリカ国勢調査局に勤務した(1939年 - 1945年)。その後ニューヨーク大学経営大学院で統計学の教授を務めた(1946年 - 1993年)。また、コロンビア大学の経営学部大学院でも教えている(1988年 - 1993年)。また、企業のコンサルタントも務めた。 1927年、デミングは農務省の C.H. Kunsman により、ベル研究所のウォルター・A・シューハートに紹介され、シューハートの業績に大いに触発された。シューハートは製造工程の統計的制御手法の提唱者であり、管理図などのツールを考案していた。このため、デミングも製造業や経営に統計的手法を応用する方向に興味を移し始めた。シューハートによる分散の共通原因と特殊原因の考え方は、デミングの経営理論にも取り入れられている。デミングはこれが単に製造プロセスに適用できるだけでなく、企業の経営にも生かせると考えた。この洞察により、1950年以降の産業への多大な影響が可能となったのである。 デミングは農務省でシューハートが行った一連の講義を本にまとめ Statistical Method from the Viewpoint of Quality Control として 1939年に出版した。デミングは、シューハートから多くを学んだ理由を後のインタビューで、シューハートが聡明である一方で「物事を難しくする特異な才能」を持っていたためだと説明している。このためデミングはシューハートの考えをコピーし、それを彼なりのわかり易い方法で提示することに時間を費やした。 デミングは標本化技法を開発し、それが1940年の国勢調査に使われた。第二次世界大戦中、デミングは Emergency Technical Committee の一員として、H.F. Dodge、A.G. Ashcroft、Leslie E. Simon、R.E. Wareham、John Gaillard と共に働き、戦時標準規格(ANSI ZI.1-3 として1943年発表)の策定を行った。また、戦時動員された工場作業員に対して統計的プロセス制御技法を教えた。統計的技法は第二次世界大戦中は広く適用されたが、戦後アメリカ経済が強くなるに従って数年で省みられなくなった。
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