平日22時ニュース戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 04:13 UTC 版)
1985年、テレビ朝日は社運をかけて、それまで23時台に放送されていた深夜ニュース番組を1時間繰り上げ、22時からにすることを決定、番組名を『ニュースステーション』(以下Nステ)とした。司会にはTBSの人気音楽番組『ザ・ベストテン』で司会を務めていた久米宏に白羽の矢を立てた。久米はキャスター就任を了承したが、秘密裏に進められた計画であった為、共演者の黒柳徹子へもこの事を伝えないまま、同年4月25日放送分を最後に『ザ・ベストテン』の司会を降板した。 詳細は「ニュースステーション#初期(1985年10月 - 1988年4月)」および「久米宏#『ニュースステーション』のキャスター (1985年 - 2004年)」を参照 同年10月に『Nステ』の放送が始まると、中高生にわかりやすいニュースをコンセプトにした内容が功を奏し、高視聴率を獲得したが、TBSの首脳陣は一連の久米の行動に激怒。諏訪博会長の号令により「報道のTBS」の面子と社運を懸けて、打倒『Nステ』を目指し22時台のニュース帯番組を製作し、『Nステ』にぶつける計画を立てた。しかし、計画はキャスター選びから難航した。当初、白羽の矢を立てたのは、『ザ・ベストテン』時代の久米の共演者の黒柳徹子だったが、黒柳が拒否すると朝日新聞社員だった筑紫哲也にキャスター就任を要請した。ところが、テレビ朝日がTBSに猛反発、遂には朝日新聞とTBS両社のトップ会談が開かれる事態になった。その後TBSは、森本毅郎をキャスターに据えて1987年10月から『JNNニュース22プライムタイム』(以下プライムタイム)をスタートしたが、視聴率で『Nステ』に勝てなかったばかりか、森本に女性スキャンダルが発覚した為、1年で森本は降板し、新たに小川邦雄をキャスターに迎え、番組タイトルを『JNNニュースデスク'88(→'89)』に変更するも、結局『プライムタイム』放送開始から2年後の1989年9月、22時台のニュース帯番組から撤退した。その後、TBSは筑紫をキャスターに据えた『NEWS23』を翌月から放送開始した。 詳細は「筑紫哲也 NEWS23#放送開始の経緯」および「筑紫哲也#生い立ちと朝日新聞社時代」を参照 その後、2000年3月27日にNHK総合テレビが新たに平日22:00に『NHKニュース10』を設置、『Nステ』もこれに対抗して放送時間を21:54に繰り上げた。それでも『Nステ』の牙城は崩れないものの、2004年4月からはキャスターを古舘伊知郎に交代、タイトルも『報道ステーション』に変更した。結果『ニュース10』はTBSより放送期間は長かったものの、2006年3月31日で打ち切られて『NC9』以来の伝統枠だった21時台に『ニュースウオッチ9』として戻り、再びテレビ朝日の独壇場となる。 詳細は「報道ステーション#第1期・古舘時代」および「NHKニュース10#概要」を参照 それでもNHKはこの時間帯の報道情報系番組を放送しており、19時台後半の放送だった『クローズアップ現代+』を2016年(平成28年)4月改編で22時台に移動、『報ステ』に対抗するようになった。その後、2022年(令和4年)4月の改編で再び19時台後半に戻ることが同年2月に発表された。 詳細は「クローズアップ現代+#歴史」を参照 2021年、今度はテレビ東京が23時から放送している『ワールドビジネスサテライト』を同年3月29日から1時間繰り上げて、22時スタートすることを同年1月の改編会見で発表した。同局社長の石川一郎は『報ステ』と放送時間が重なることについて、「(『報ステ』を含む)22時台はザッピングも非常に多い。ネット、SNSを含めて生き残っていくためには今日の経済事案は何かをきちんと整理して明日以降の生活、経済活動に生かせる材料を伝えたい」と語っている。
※この「平日22時ニュース戦争」の解説は、「視聴率」の解説の一部です。
「平日22時ニュース戦争」を含む「視聴率」の記事については、「視聴率」の概要を参照ください。
- 平日22時ニュース戦争のページへのリンク