幕下以下の全敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 18:50 UTC 版)
幕下以下の取組は原則として相星の力士同士が対戦する(いわゆる、スイス式トーナメント)為、128名中1名の力士が必然的に全敗となり得る。尚、2021年5月場所終了現在、全敗場所数のワースト1位(30場所)及び連続全敗場所数のワースト1位(14場所)は、いずれも勝南桜聡太が記録。 幕内昇進前の全敗 以下の力士が幕下以下全敗を経験した後に幕内に昇進した(四股名は当時のもの)。 綾鬼 - 1915年6月場所に東序ノ口10枚目で5戦全敗。 大ノ島 - 1945年11月場所に西序二段12枚目で5戦全敗。島錦と改名した後、1947年11月場所に東三段目20枚目で6戦全敗。下位で2度の全敗を経験して入幕を果たしたのは、島錦、琴稲妻、安芸乃州(今田)の3人のみである。 朝響 - 1959年11月場所に東序二段148枚目の地位で8戦全敗。 栃東 - 1964年3月場所に東幕下17枚目の地位で全敗を記録した。後に幕内最高優勝を果たし、史上初の幕下以下で全敗の経験を持つ優勝力士となった。 北の湖 - 1968年1月場所に序二段で全勝(優勝同点)、しかし新三段目(西三段目20枚目)で迎えた翌3月場所は全敗した。歴代横綱唯一の全敗経験者である。 尾堀 - 1971年9月場所に西幕下6枚目で全敗。 黒谷 - 西幕下38枚目だった1976年11月場所に全敗を記録した。 港龍 - 1978年5月場所に西三段目60枚目の地位で全敗を記録した。 琴稲妻 - 1979年11月場所に東幕下60枚目、1981年9月場所に東幕下25枚目でそれぞれ全敗した。 寺木 - 初めて番付についた1985年5月場所に東序ノ口25枚目の地位で全敗を記録した。幕下以下の1場所7番制が定着した1960年7月場所以降、序ノ口(しかも初めて番付についた場所)で全敗を経験して、その後に入幕を果たした唯一の例である。 今田 - 1986年7月場所に東三段目71枚目の地位で、1991年3月場所に東幕下42枚目の地位で、それぞれ全敗を記録した。 琴龍 - 1993年5月場所に西幕下8枚目の地位で全敗を記録した。 北勝力 - 1995年3月場所に東序二段19枚目の地位で全敗を記録した。 片山 - 2003年5月場所に東幕下29枚目の地位で全敗を記録した。 千代白鵬 - 2003年7月場所に西幕下12枚目の地位で全敗を記録した。 武蔵龍 - 2004年5月場所に東幕下24枚目の地位で全敗を記録した。 幕下陥落後の全敗 以下の力士が幕内在位経験後に幕下以下で全敗を記録した。 小戸ヶ岩 - 1945年6月場所に東幕下5枚目で5戦全敗、1948年5月場所に東幕下9枚目で6戦全敗を記録し、2回目の全敗を記録した場所限りで廃業した。 斜里錦 - 1948年10月場所に西幕下16枚目で6戦全敗を記録し、翌場所以降2場所連続で休場し、復帰することなく廃業した。 大江戸 - 1954年1月場所に東幕下17枚目で8戦全敗を記録し、同場所限りで引退した。 愛宕山 - 1960年11月場所に西幕下7枚目で全敗を記録した。 大觥 - 1980年11月場所に西幕下11枚目で全敗を記録し、同場所限りで廃業した。 牧本 - 1982年1月場所に西幕下27枚目で全敗を記録した。 大刀光 - 1994年1月場所に西幕下29枚目で全敗を記録し、同場所限りで廃業した。 玉海力 - 1995年3月場所に西幕下6枚目で全敗を記録した。 旭豪山 - 1996年5月場所に東幕下28枚目で全敗を記録した。 立洸 - 1999年1月場所に東幕下24枚目で全敗を記録した。 垣添 - 2012年3月場所に西幕下22枚目の地位で全敗を記録し、同場所限り(番付上は翌2012年5月場所まで)で引退した。三役経験者が幕下以下で全敗したのは史上初であった。 大喜鵬 - 2014年9月場所に西幕下45枚目の地位で全敗を記録した。その後2016年11月場所に十両復帰を果たす。幕内在位後に幕下以下で全敗を記録し、その後に再度関取に復帰したのは史上初であった。
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