翔天狼大士
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翔天狼 大士(しょうてんろう たいし、1982年1月31日 - )は、モンゴル国ホブド県出身で、武蔵川部屋(引退時は藤島部屋)に所属した元大相撲力士。本名は松平 翔(まつだいら しょう)、モンゴル名(帰化前)はダグダンドルジ・ニャマスレン(モンゴル語キリル文字表記:Дагдандоржийн Нямсүрэн、ラテン文字転写:Dagdandorjiin Nyamsuren)、愛称はニャムカ。生まれ育ったのはウランバートル市だが、2009年10月以降はホブド県を出身地としている。身長189cm、体重160kg、血液型はO型、星座は水瓶座。得意手は突き、押し、右四つ、寄り。趣味はインターネット、旅行。最高位は東前頭2枚目(2009年9月場所)。現在は年寄・錦島[2]。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『相撲』2018年3月号 p.90-91
- ^ a b “元幕内・翔天狼の春日山親方が年寄「北陣」襲名”. スポーツ報知. (2019年7月25日) 2021年7月20日閲覧。
- ^ http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2009012500085[リンク切れ]
- ^ “【白星黒星】翔天狼「太ったから余分な脂肪を燃やして筋肉に」”. サンケイスポーツ. 共同通信. (2014年1月24日). オリジナルの2014年2月1日時点におけるアーカイブ。 2021年7月20日閲覧。
- ^ “法務省告示第三百九十三号”. 官報 第7084号 (国立印刷局): p. 4. (2017年8月18日)
- ^ “幕下翔天狼が日本国籍取得、新しい本名は「松平翔」”. 日刊スポーツ. (2017年9月9日) 2021年7月20日閲覧。
- ^ “元幕内翔天狼、がん闘病中…力士会から見舞金”. サンケイスポーツ. (2017年10月31日) 2017年10月31日閲覧。
- ^ “元幕内翔天狼が引退=大相撲”. 時事通信. (2017年12月28日). オリジナルの2018年6月12日時点におけるアーカイブ。 2021年7月20日閲覧。
- ^ 後に、貴ノ岩、荒鷲がいる。
- ^ 元幕内・翔天狼の北陣親方が年寄「錦島」を襲名…日本相撲協会発表 - スポーツ報知 2022年6月30日
- ^ 例として『相撲』2012年1月号44頁、2012年8月号62頁
- ^ “翔天狼がパパ「写メールでパワー」”. 日刊スポーツ. (2013年2月22日) 2021年7月20日閲覧。
- ^ 『相撲』2016年7月号86ページ
- ^ “理事会で力士ら聴取”. 時事通信. (2011年2月2日) 2021年7月20日閲覧。
- ^ “大相撲八百長問題 主なメールのやりとり”. 時事通信. pp. 5,8. 2021年7月20日閲覧。
- ^ “背筋力1位は257キロ!白鵬らが挑戦”. 日刊スポーツ. (2014年2月2日) 2021年7月20日閲覧。
- ^ 因みに自身の兄弟子にあたる武蔵丸は新弟子検査を受けた1989年9月場所には19歳であり、検査の際には153kgの体で背筋力225kgを計測した。
- ^ 『大相撲ジャーナル』2014年4月号 p.75
- ^ 【急変】魁皇が宮城野部屋存続を嘆願!その理由は!? 貴闘力部屋 2024/03/13 (2024年3月14日閲覧)
- ^ 左足関節捻挫のため13日目から途中休場
- ^ 急性腰痛症のため5日目から休場、9日目から再出場
- 1 翔天狼大士とは
- 2 翔天狼大士の概要
- 3 主な成績
- 4 改名歴
固有名詞の分類
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