病床での断髪式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 10:18 UTC 版)
元小結・大翔鳳昌巳は、1999年3月場所後の精密検査の結果、膵臓癌が発見され、闘病のため同年6月11日付で引退し準年寄・大翔鳳を襲名。引退相撲を伴う断髪式を予定していたものの、闘病が長引く見込みだったことから「時機を逸するといけないから」として、日本大学時代の同級生で親友でもあった舞の海秀平らによって、1999年10月3日に高輪プリンスホテルで急遽断髪式が行われ、自身の引退直前に7代立浪を襲名し部屋を継承した旭豊勝照が止め鋏を入れた。闘病の影響からか、140キロ以上あった体重は90キロ程までに激減し、断髪式当日には髷がなければ元力士とは思えないほどに痩せていた。整髪後の挨拶では病気の克服を出席者の前で誓っていたが、その断髪式からわずか2か月後の同年12月4日、治療の甲斐もなく膵臓癌により32歳の若さで没した。 元小結・時天空慶晃も、2016年1月場所前に、悪性リンパ腫で当面の間抗がん剤の投与による入院加療を要するとの診断が下されたことが公表された。これにより当場所以降休場を続けた。療養中は土俵への復帰の希望を持ちつつ、抗がん剤治療の副作用で髪が抜けることを覚悟し、2015年11月場所前に、入門当初の師匠豊山勝男をはじめ、当代師匠時津海正博、母校・東京農業大学相撲部総監督の安井和男、そして家族ら数人が見守る中、病室でひっそりと“復活を願っての断髪式”が行なわれた。以降、療養に専念も、2016年9月場所前には復帰を断念し現役を引退し年寄・間垣として後進の育成を行うこととなった。上述の経緯もあり、引退会見には髷頭に紋付袴姿ではなく、丸刈り頭にスーツ姿で応じていた。引退後は年寄として業務に当たったが程なく病状が悪化、翌2017年1月31日午前1時12分、悪性リンパ腫により37歳の若さで没した。 元幕内・翔天狼大士も、日本国籍取得直後の2017年9月場所を休場。同年の夏から癌を患っていることが白鵬翔によって公表された。2017年12月28日付で引退し、年寄・春日山を襲名して藤島部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たることとなった。引退会見は行わず、暫しの療養専念期間を経て2018年3月に年寄の職務に復帰したが、その期間中に抗がん剤の副作用で頭髪が少なくなり「少しでも残っているうちに」と部屋の床山を呼び、残った僅かな頭髪で大銀杏を結って貰い、直後に「2人きりの断髪式」を行った。
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