病床からの活動とは? わかりやすく解説

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病床からの活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 16:41 UTC 版)

レオ・シラード」の記事における「病床からの活動」の解説

1959年膀胱癌患ったが、手術費用対効果よくないとして、通常の治療代え放射線治療受けた。死を意識するようになったシラードは、入院中も病床からさまざまな活動続け核抑止論文仕上げとともに回想録短編集イルカ放送』 の口述行った個室にはジャーナリストや他の科学者忙しなく訪れシラードは「衰えた癌の犠牲者というより、くつろいだ丸顔ローマ皇帝」のようであったという。また、ソ連フルシチョフの手紙のやり取り通じ1960年フルシチョフ訪米時には一時的に病院離れて2時間会談行っている。ここでは終戦直後から訴えてきた米ソホットライン開設などを提案し、これはキューバ危機の後に実現することになった1960年にはアルバート・アインシュタイン賞 (Albert Einstein Award) を、またウィグナーとともに平和のための原子力賞 (Atoms for Peace Award) を受賞し、さらにアメリカ人道主義協会 (American Humanist Association, AHA) によって「今年の人主義者」(Humanist of the Year) に選ばれた。当初シラードこの年大統領選勝利したケネディ期待寄せたものの、1961年ピッグズ湾事件ベルリンの壁建設への対応、そして核戦争勃発直前事態及んだ1962年キューバ危機によって失望を味わうこととなった1961年には『イルカ放送』(The Voice of Dolphins)という SF 的な短篇集出版し冷戦下における科学政治について彼の世界観を開陳している。 退院後の1961年シラードは『我々は戦争への道を歩んでいるか?』(Are we on the road to war?) と題した講演を行うとともに現時点ワシントンでは英知勝利する可能性はない」と断じて核戦争脅威警告し合理的な軍縮方法模索することを目標としてロビー活動を行う政治的目標明確にした科学者などによる組織戦争廃絶のための協議会」(Council for Abolishing War)を設立したほどなく住みやすい世界のための協議会」(Council for a Livable World)と改称したこの組織には、過去委員としてハンス・ベーテカール・セーガンなども務めており、連邦議会選挙に際して特定の議員支援している。 1964年2月ソーク研究所終身フェローとなりカリフォルニアへ移ったが、5月30日就寝中の心臓発作のため66歳で他界した遺灰故郷ブダペスト送られその地で埋葬された。1974年アメリカ物理学会社会貢献分野物理学発展尽くした人物送られる賞として「レオ・シラード賞」(Leo Szilard Lectureship Award) を創設した。また彼に因み月面の裏にある直径 120 km あまりのクレーターに「シラード」(Szilard) の名が与えられた。

※この「病床からの活動」の解説は、「レオ・シラード」の解説の一部です。
「病床からの活動」を含む「レオ・シラード」の記事については、「レオ・シラード」の概要を参照ください。

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