病床数の拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 14:17 UTC 版)
1970年代になると宇都宮病院は作業療法という名目で入院患者に労働をさせ、患者の処遇の悪化に拍車がかかる。 石川文之進は、1971年(昭和46年)に宇都宮病院院長に就任し名実ともに病院のトップの座に就いた。また、文之進の弟で宇都宮病院事務長だった石川裕朗が宇都宮市議会議員に当選し、その後任の事務長を宇都宮南警察署から招聘した。1975年(昭和50年)には病床数を722床まで拡大、裕朗も栃木県議会議員となる。翌1976年(昭和51年)にも更に病床数を拡大し、病床数が852床にまでなる。
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