帰省バスの誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 05:40 UTC 版)
旅行商品の形態によるバスでの旅客輸送としては、お盆や年末年始を中心に帰省者を主な利用対象として大都市と地方都市の間で運行されていた「帰省バス」と称するものがある。 帰省バスの起源は1960年代にさかのぼる。大阪府に本拠を置く中央交通が1961年に日本初の帰省バスの運行を開始したと自称している。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}相鉄バスでも1963年の帰省バスの風景が紹介されている。[要出典]西鉄バスでも1962年12月28日に福岡 - 大阪間で帰省バスの運行を開始したとしている。中には名古屋 - 鹿児島間や大阪 - 鹿児島間のように24時間以上かけて運行するバスもあり、近畿日本鉄道(現:近鉄バス)が運行していたする大阪 - 鹿児島間は26時間を要し、名古屋近鉄バス(現:名阪近鉄バス)が運行していた名古屋 - 鹿児島間は所要時間の表記がないが、名神高速道路が開通していた当時の状況から29時間程度を要していたとみられる。 当時の帰省バスは、主に都市部の大手私鉄のバス部門や私鉄系バス事業者が、グループ内の旅行代理店を通じて企画し運行されることが多く、自社の路線バスや鉄道施設、鉄道車両内などで広告していた。当時は東名高速道路・名神高速道路以外の高速道路はまだ開通しておらず、ほとんどは一般国道での運行で所要時間もかかったが、座席が必ず確保されることもあって人気は高かった。これら帰省バスの多くは、1980年代以降には高速バスの需要調査も兼ねることにつながり、石見銀山号など多客期の帰省バスの実績から定期運行に発展した例も多い。 一例として、1980年の年末から新宿 - 飯田間で帰省バスを運行していた信南交通が挙げられる。盆期・年末年始には4台連行で運行するなど好調で、後の中央高速バス伊那・飯田線の運行開始につながった。一時は倒産寸前とまで言われた同社が単年度黒字になるまで押し上げる要因となった好例である。 詳細は「中央高速バス#伊那・飯田線 - 国鉄からの横槍」を参照 現在は、高速乗合バス網の発達、高速ツアーバスの普及、法改正などにより、募集型企画旅行商品として季節的に臨時催行される程度である。また、既存の路線免許を組み合わせるなどして路線認可を得た上で、期間限定の高速路線バスとして運行する例もあり、一例として西鉄高速バス・大分バスの「日豊海岸 くろしお号」、中国ジェイアールバス・防長交通の「宇部・山口・広島 - 東京線」などが挙げられる。
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