帰納の問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 16:01 UTC 版)
批判的合理主義に対するその他の批判としては、批判的合理主義は帰納の問題を解決していないというものがある。批判的合理主義では験証に耐えなかった仮説を除去し、験証によく耐えた仮説を採用する。また、一般に科学的理論の対象範囲は無限に存在し、有限回の験証を行っても対象範囲の全てにその仮説が適用できると証明したことにならないので、験証をいくら行っても仮説が正しいことの証明にはならないともポパーは言っている。そうであるにもかかわらず、ポパーは(一切テストされていない理論よりも)よく験証された理論を使えと言っている。そのため、実際のところ批判的合理主義は、ポパーが激しく批判したまさにその帰納と同じ問題に陥っているのではないかと批判されている。この批判に対してポパーは「厳しいテストをかいくぐって生き延びてきたことは別の意味での合理性を保証」し「批判的な討論よりも合理的なものはないのだから、そういう実際的な場面でも批判的討論をくぐり抜けた理論を使うのが合理的なの」だと主張する。しかし、ここでいう合理性は科学的理論を実際に使おうとする人々が求めるものとは別物で、人々が科学的理論を使う際の根拠とはならないと伊勢田哲治が批判している。 同じ問題に関して、ポパーの弟子のデイヴィッド・W・ミラー(en:David Miller (philosopher))は、今までテストに耐えてきた科学的理論を間違っていると考える根拠はないのだからその理論を採用し続ける方が合理的であると言って批判的合理主義を擁護している。これに対して、高島弘文が、ミラーの擁護もやはり帰納的推論が紛れ込んだものだとして批判している。その際、高島は、この問題に関して、ミラーの擁護に比べてポパーの擁護は独特の問題を抱えており、ミラーのものと同じようには反論しづらい物であると述べている。 また、日本人だけでも高島以外にも複数の学者がこの、批判的合理主義には帰納が紛れ込んでいるという指摘を行っている。同じく日本のポパー研究者の蔭山泰之は自著でこの問題を総括したうえでポパーを擁護する側に立っているが、批判的合理主義に帰納が含まれているという主張に対して反論することは実質的に放棄している。また、ポパーは、遺稿では「私が批判的合理主義について述べてきたことと科学的理論を実用に供するのとは別の話である」といったことを書いており、ポパーの批判的合理主義における考えを、科学的理論に当てはめることは、必ずしも出来ないと考えていたようだ。
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帰納の問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:50 UTC 版)
直感的には、絶対的で、完全で、純然たる、揺るぎない確実性を持つ特定のことを私たちは知っているように思われる。たとえば、北極に移動して氷山に触れると、冷たいと感じることがわかる。私たちが経験から知る物事は、帰納を通して私たちの知るところとなる。帰納の問題とは端的に言えば、(1)どんな帰納的な命題(明日は太陽が昇る、のような)も、自然が一定であると仮定した場合にのみ演繹的に示すことができる。(2)自然が一定であることを示す唯一の方法は、帰納を用いることによってである。したがって、帰納は演繹的に正当化することはできない、ということである。
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