おたか‐ひさただ〔をたか‐〕【尾高尚忠】
尾高 尚忠
東京生まれ。成城高等学校中退後、1931年にウィーン音楽アカデミーに留学。1年半学んだ後一旦帰国し、プリングスハイムに作曲を学ぶ傍ら、武蔵野音楽学校で音楽理論を教える。 34年再びウィーンに戻り、アカデミー作曲科マスタークラスにてヨゼフ・マルクスに、また指揮科にてヴァインガルトナーに師事。卒業作品「日本組曲」(管弦楽曲)はヴァインガルトナー賞を受賞する。卒業後は、ウィーン交響楽団やベルリン・フィルにて指揮者として活躍。40年に帰国後、42年からは日本交響楽団(NHK交響楽団の前身)常任指揮者として献身的に活動。日本の交響楽運動に多大な貢献を果たす。一方で、オーケストラ作品を中心に創作活動も展開。その作風は、ドイツ・ロマン主義に日本的趣味を加味したものと捉えられよう。39歳にて疲労により病没。1周期には、日本人作曲家のオーケストラ作品を対象とした「尾高賞」がN響により設立された。息子の惇忠は作曲家、忠明は指揮者として活躍している。
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