小西行長とは? わかりやすく解説

こにし‐ゆきなが【小西行長】

読み方:こにしゆきなが

[?〜1600安土桃山時代武将和泉(いずみ)の人。通称弥九郎受洗名アグスチン。堺の豪商の子豊臣秀吉仕え文禄の役慶長の役活躍秀吉死後石田三成らと行動をともにし、関ヶ原の戦い敗れ処刑された。


小西行長

作者坂口安吾

収載図書安吾史譚―七つ人生について
出版社PHP研究所
刊行年月1993.9
シリーズ名PHP文庫


小西行長

作者大栗丹後

収載図書戦国武将まんだら秘本三十六人
出版社春陽堂書店
刊行年月1999.8
シリーズ名春陽文庫


小西行長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 07:08 UTC 版)

小西 行長(こにし ゆきなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将大名肥後宇土城主。アウグスティヌスの洗礼名を持つキリシタン大名でもある。


注釈

  1. ^ 行長の生まれた年については、朝鮮の史料である『宣祖実録』の宣祖二十八年の項にある「行長今年三十八」という記述が唯一の記録である。ここから数え年をもとに逆算すると、行長は永禄元年(1558年)生まれ、ということになる[1]
  2. ^ ルイス・フロイスは「羽柴の海軍の司令官は、都生まれのキリシタンで、名をアゴスチニヨといひ」と書簡に記している[3]
  3. ^ 小豆島のみでは1万石にはならないので、その他の領土があった・1万石という数字が誤りである、などの説があるが、確定する史料はない。
  4. ^ のち外孫のマンショ小西もこの有馬のセミナリオで学んでいる。
  5. ^ 八代はルイス・フロイスが『日本史』で絶賛した土地であった。
  6. ^ 関ヶ原の戦いに際しては石田三成から軍勢を借りており、加藤清正に攻撃を受けた宇土城にもわずかな守備兵しか配置できなかったように、朝鮮出兵という長期にわたる外征の結果として人的資源を蕩尽していたことがうかがえる。
  7. ^ 直吉は林蔵主に褒美として黄金十両を与えた[9]
  8. ^ 懲毖録自体が資料としての信頼性が低く、朝鮮側の資料にしか記述が無い為、真偽は不明である。

出典

  1. ^ 鳥津 2010
  2. ^ クラツセ, ジアン (1925), 国立国会図書館デジタルコレクション 日本西教史, , 太陽堂書店, pp. 550-551, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971162/240 国立国会図書館デジタルコレクション 
  3. ^ 1584年8月31日付けルイス・フロイス書簡より。『イエズス会日本年報・上』所収
  4. ^ a b 『岡山市史』第二巻 1831頁
  5. ^ a b 桑田 1989, p.45
  6. ^ a b c 桑田 1989, p.46
  7. ^ 鳥津亮二「小西行長発給文書と花押について」(『熊本史学』89・90・91号、2008年)
  8. ^ & 桑田 1989.
  9. ^ 『板坂ト斎覚書』
  10. ^ a b c d 西山隆則 著、黒田官兵衛生きるヒントラボ 編『キリシタン武将 黒田官兵衛―「軍師」官兵衛の実像 天の巻(中巻)』(Kindle)Amazon、107頁。 ASIN B00I0UMHKS
  11. ^ a b 小西行長の最期
  12. ^ 中野等「唐入り(文禄の役)における加藤清正の動向」(初出:『九州文化史研究所紀要』56号(2013年)/山田貴司 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第二巻 加藤清正』(戒光祥出版、2014年)ISBN 978-4-86403-139-4
  13. ^ 小西得郎『したいざんまい』実業之日本社、1957年、24、25P


「小西行長」の続きの解説一覧

小西行長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 06:58 UTC 版)

へうげもの」の記事における「小西行長」の解説

明・朝鮮との交渉任されている。高山右近曰く本性商人であるとのこと唐入りに際して、明の沈惟敬と共に南蛮組んで商い独立大国」を目指したが、関ヶ原敗北によって南蛮見捨てられてしまい、徳川軍投降し斬首される。

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小西行長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 00:39 UTC 版)

二流の人 (小説)」の記事における「小西行長」の解説

肥後領地加藤清正二つ分けて共有。父は元来、堺の薬屋唐朝鮮を股にかけた商人のため、朝鮮事情心得ている切支丹。正直でひたむきな情熱児。朝鮮遠征小牧・長久手の戦い)において、明軍対す戦略黒田如水対立京城拠点要所に城を築いて迎え撃つ要塞戦法を主張するに異を唱え平壌前進し失敗する

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小西行長(こにし ゆきなが)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:19 UTC 版)

センゴク」の記事における「小西行長(こにし ゆきなが)」の解説

通称弥九郎羽柴家家臣商家出身という生い立ちから商い武士呼ばれており、舟奉行として四国遠征軍準備大坂城普請船舶差配などを担当しており、紀州征伐では水軍率いて陣している。

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小西行長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 21:07 UTC 版)

戦国無双シリーズ」の記事における「小西行長」の解説

加藤清正コレクション武将一人

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小西行長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 23:12 UTC 版)

真田十勇士 (柴田錬三郎・本宮ひろ志の漫画)」の記事における「小西行長」の解説

秀吉死に伴い朝鮮から帰国その際筧十蔵(劉十天)を連れてきた。石田三成の案に乗り筧十蔵家康暗殺命じる。

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