こにし‐ゆきなが【小西行長】
こにしゆきなが 【小西行長】
小西行長
小西行長
小西行長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 07:08 UTC 版)
小西 行長(こにし ゆきなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。肥後宇土城主。アウグスティヌスの洗礼名を持つキリシタン大名でもある。
注釈
- ^ 行長の生まれた年については、朝鮮の史料である『宣祖実録』の宣祖二十八年の項にある「行長今年三十八」という記述が唯一の記録である。ここから数え年をもとに逆算すると、行長は永禄元年(1558年)生まれ、ということになる[1]。
- ^ ルイス・フロイスは「羽柴の海軍の司令官は、都生まれのキリシタンで、名をアゴスチニヨといひ」と書簡に記している[3]。
- ^ 小豆島のみでは1万石にはならないので、その他の領土があった・1万石という数字が誤りである、などの説があるが、確定する史料はない。
- ^ のち外孫のマンショ小西もこの有馬のセミナリオで学んでいる。
- ^ 八代はルイス・フロイスが『日本史』で絶賛した土地であった。
- ^ 関ヶ原の戦いに際しては石田三成から軍勢を借りており、加藤清正に攻撃を受けた宇土城にもわずかな守備兵しか配置できなかったように、朝鮮出兵という長期にわたる外征の結果として人的資源を蕩尽していたことがうかがえる。
- ^ 直吉は林蔵主に褒美として黄金十両を与えた[9]。
- ^ 懲毖録自体が資料としての信頼性が低く、朝鮮側の資料にしか記述が無い為、真偽は不明である。
出典
- ^ 鳥津 2010
- ^ クラツセ, ジアン (1925), 国立国会図書館デジタルコレクション 日本西教史, 上, 太陽堂書店, pp. 550-551
- ^ 1584年8月31日付けルイス・フロイス書簡より。『イエズス会日本年報・上』所収
- ^ a b 『岡山市史』第二巻 1831頁
- ^ a b 桑田 1989, p.45
- ^ a b c 桑田 1989, p.46
- ^ 鳥津亮二「小西行長発給文書と花押について」(『熊本史学』89・90・91号、2008年)
- ^ & 桑田 1989.
- ^ 『板坂ト斎覚書』
- ^ a b c d 西山隆則 著、黒田官兵衛生きるヒントラボ 編『キリシタン武将 黒田官兵衛―「軍師」官兵衛の実像 天の巻(中巻)』(Kindle)Amazon、107頁。ASIN B00I0UMHKS
- ^ a b 小西行長の最期
- ^ 中野等「唐入り(文禄の役)における加藤清正の動向」(初出:『九州文化史研究所紀要』56号(2013年)/山田貴司 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第二巻 加藤清正』(戒光祥出版、2014年)ISBN 978-4-86403-139-4)
- ^ 小西得郎『したいざんまい』実業之日本社、1957年、24、25P
小西行長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 06:58 UTC 版)
明・朝鮮との交渉を任されている。高山右近曰く、本性は商人であるとのこと。唐入りに際して、明の沈惟敬と共に南蛮と組んで「商いの独立大国」を目指したが、関ヶ原の敗北によって南蛮に見捨てられてしまい、徳川軍に投降し斬首される。
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小西行長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 00:39 UTC 版)
肥後の領地を加藤清正と二つに分けて共有。父は元来、堺の薬屋で唐朝鮮を股にかけた商人のため、朝鮮事情を心得ている。切支丹。正直でひたむきな情熱児。朝鮮遠征(小牧・長久手の戦い)において、明軍に対する戦略で黒田如水と対立。京城を拠点に要所に城を築いて迎え撃つ要塞戦法を主張する如水に異を唱え、平壌前進し失敗する。
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小西行長(こにし ゆきなが)
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「センゴク」の記事における「小西行長(こにし ゆきなが)」の解説
通称は弥九郎。羽柴家の家臣。商家出身という生い立ちから商い武士と呼ばれており、舟奉行として四国遠征軍の準備や大坂城普請の船舶の差配などを担当しており、紀州征伐では水軍を率いて参陣している。
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小西行長
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小西行長
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「真田十勇士 (柴田錬三郎・本宮ひろ志の漫画)」の記事における「小西行長」の解説
秀吉の死に伴い、朝鮮から帰国。その際、筧十蔵(劉十天)を連れてきた。石田三成の案に乗り、筧十蔵に家康暗殺を命じる。
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