富坂水害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 16:34 UTC 版)
「絶体絶命都市2 -凍てついた記憶たち-」の記事における「富坂水害」の解説
2010年12月18日から季節外れの雨が富坂市に降り始め、連日降り続いた雨は23日には1日の降水量が観測史上最高の800mmを記録する大雨となった。翌日の24日も雨は降り続け、同日14時6分に市内を流れる羽代川が警戒水位を超過するが雨量は増加し続ける。その結果排水しきれない雨水が溢れ始め、韮沢ジオセクションのジオフロンティア計画第一期工事完成披露のパーティ会場で水漏れが発生するなど徐々に影響が出始めた。この頃より警察が出動して警戒に当たるとともに、自主避難も始まった。篠原編では、この時にガスや水道が止まったことを料理長から聞くことができる。 14時20分ごろ遂に羽代川が決壊。市西部で大規模な浸水が発生して多数の行方不明者が発生する。更に韮沢ジオセクション各所で陥没事故が発生したため、市は羽代川より西側の地域に緊急避難命令を発令。韮沢駅と富坂西インターチェンジとの間で避難バスが被災者を運び始める。 その後も増え続ける雨量の影響で決壊部分は広がり続け、18時23分には地下のホームに流れ込んだ水によって流された電車が韮沢駅を破壊。22時58分には西インターチェンジで被災者を輸送していたヘリが墜落する。この時浸水は市の西部から東部、更に南部の羽代区へと広がっており海岸線決壊の危険があるため、市全域に避難命令が出され午前2時頃には蓮野区の避難がほぼ完了した。 翌日11時ごろ、連日の大雨で貯水容量の限界を超えた奥富ダムが破損。上部の洪水吐からも緊急放流を始めるも間に合わず破壊が進行し、完全に崩壊する。この影響により貯水していた水がすべて濁流となって下流を襲い、柿沼サービスエリア付近の橋に鉄砲水が押し寄せた。同時期に田辺知事が行方不明となったとの情報が流れる。この頃までに避難所を中心に死亡率が極めて高く、感染速度の速い新型インフルエンザが蔓延する。その正体は速水編で明らかとなる。 日付が26日に変わる頃には海岸線決壊による海水の流入と、豪雨の影響によって沿岸部を中心に陥没が連鎖的に発生。雨が雪に変わるが韮沢区をはじめとする市の西部は完全に水没状態となり、中央区、蓮野区、伏山区と言った一部地域が残るのみとなるが浸水は勢いが衰えず徐々に市全域が沈み始めた。そして26日17時30分、最後に残された中央区富坂駅周辺で浸水が始まり駅の崩壊が始まる。駅に続いてメディアタワーも崩壊が始まり、雪が止んで日が差し始めた頃中央区が水没。天気が晴れに変わり、1週間にわたって降り続いた豪雨はようやく終息。しかし、メディアタワーの水没をもって富坂市は完全に水没し、見えなくなった。
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