宗谷岬(そうや みさき)
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「おれはキャプテン」の記事における「宗谷岬(そうや みさき)」の解説
美波里高校一年生。アメリカ系ハーフで金髪。中学時代、ソフトボール日本一の実績を持ち、ソフトボール界では有名選手であったが、野球界では無名の存在で、全く知られていなかった。ポジションはピッチャーで、綺麗な回転がかかったキレのある球を投げる「正統派」の投手。その潜在能力は国沢をして「蛯名以上」と言わしめる。大州圭、ハーディ西井戸とは幼馴染。当初、朋王学園に進学するつもりでいたため、美波里高校の監督に就任した大州からの、かつての教え子たちを集めたチームを作るという誘いを一度は断るが、後述の田中沙流の死をきっかけにして、考えを改め美波里高校に進学する。
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宗谷岬 (曲)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 09:16 UTC 版)
宗谷岬(そうやみさき)は、1972年(昭和47年)にシングル発売された楽曲。オリジナルの歌手は黒木真理(まこと)であり、ディスクジャケットは黒木の顔写真と発売当時の「日本最北端の地の碑」周辺の風景写真であった。B面(カップリング曲)は「悲しみの川」。1976年(昭和51年)に日本放送協会(NHK)の『みんなのうた』でダ・カーポによるカバーが放送された。ダ・カーポによるカバー盤もシングル発売されており、同年に北海道有線から「優秀賞」を受賞している[要出典]。その後、1982年(昭和57年)にはダ・カーポの榊原まさとしによるリメイクが『みんなのうた』で放送されている。岬には「宗谷岬音楽碑」が建立されているが、1983年(昭和58年)に同所を訪れた本多勝一は、当時の岬周辺に流されていた「宗谷岬」の放送設備について、自著で「みやげ物屋の拡声器が浜辺の人々にがなりたてる。歌詞がまた決まり文句と手アカだらけの単語をこねて団子にしたような“作品”であり、歌詞を刻んだ石碑も建てられ、自然破壊の役割を果たしている。騒音に対するこの鈍感さ、自然に対するこのひどい冒瀆、心ある人は二度とこんな岬に来ないだろう。」と述べている。 なお『みんなのうた』では、榊原版が1983年(昭和58年)に初再放送後、1988年(昭和63年)まで毎年1回再放送したのに対し、ダ・カーポ版は2回再放送したところで長期に渡って再放送されなくなったが、2011年(平成23年)から2021年(令和3年)まで行われた「みんなのうた発掘プロジェクト」によって、視聴者から音声が提供、その後映像も提供されたため、2022年(令和4年)2月に44年振りに再放送された(サイドパネル付き・ニュープリント)。
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