宗教の選択
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/20 06:38 UTC 版)
ゲディミナスは本来のリトアニアを始め、ジェマイティヤ、ナヴァフルダク、ポドラツィア、ポロツク、ミンスクといった広大な領土を相続した。しかしその周囲には積極的且つ貪欲な敵が取り巻いていたが、最も危険なのがドイツ騎士団とリヴォニア騎士団であった。騎士団のキリスト教への改宗を口実とするリトアニアへの組織的な侵攻は、全リトアニアの部族が共通の敵を目標にして統一された時から続く長きに渡るものであった。だがゲディミナスの王朝設立は単に安定性のみならず影響力の獲得にあり、その目的は教皇庁へ直接に使節を派遣することであらわれた。1322年末にゲディミナスがヨハネス22世に送った手紙には、騎士団からの迫害に対する抵抗の懇願やフランシスコ修道会やドミニコ修道会がリトアニア国内で神の言葉を伝道するための特権を既に享受していることが知らされ、教会内の特使を送るよう懇願していた。 教皇庁からの好意的な返事を受け取ると、ゲディミナスは1325年1月25日に主にハンザ同盟都市に対して、自国への自由な道と自国を開拓するための貴族や騎士と言った身分階級や職人の招聘を提供する手紙を送った。移民は定められた土地に住み、自国の法で管理した。聖職者や修道士は既に招かれ、ヴィリニュスやナヴァフラダクに教会を建てていた。1323年10月にリガの大司教、デルプトの司教、デンマーク王、ドミニコ会とフランチェスコ会、ドイツ騎士団総長がヴィリニュスに招待され、そこでゲディミナスは教皇の特使が来たら直ぐに洗礼を受けると約束した。ヴィリュニスでの署名は、キリスト教会全体では、単にゲディミナスと代表団の特権の確約の約束と名付けられている。 しかしリトアニアのキリスト教化は、ドイツ騎士団との関係には何の意味もなさず、ドイツ騎士団はゲディミナスは骨の髄まで異教徒であると吹聴することに努めた。これは不幸にも成功を収めた。ゲディミナスの主要な課題はリトアニアをドイツ人からの破壊から守ることにあった。しかし、ゲディミナスは既に異教徒が半分を占める地で異教徒の君主として君臨していた。ゲディミナスは、異教徒のサモギティア、主に正教徒であるルーシ(ウクライナとベラルーシ)、同盟者であるカトリックのマゾフシェを同等に束ねたのである。その政策は必然的で不確かで不明瞭、影響力はとても安易に解決出来るものであった。 ゲディミナスの、ドイツ騎士団のポーランドにおける数少ない領土であるドブジンへの侵攻は、直ちに騎士団にゲディミナスに対する武器が与えられた。騎士団のために祈りを捧げるエルビンの宗務院であるプロイセンの大司教はゲディミナスの手紙の実効性に疑問を示し、信仰の敵であることを非難した。正教徒はゲディミナスのカトリックへの傾斜を非難した。リトアニアの異教徒はゲディミナスが古くからの神々を放棄したことを非難した。このゲディミナスは以前の約束の拒絶、即ち1323年9月にリガに到着した教皇特使の拒絶及びフランシスコ修道会の国内退去で困難な状況を解決した。これ等のことはリトアニアは未だに異教徒の要素が強いという政治認識に後退し、来るべき民族の苦悩が未だに払うことが出来ないことであった。 同時にゲディミナスはリガの教皇特使に個人的な使節を送って己の困難な状況が洗礼の延期を強いさせたと知らせ、教皇特使はリトアニアの近付き難い隣国が次の4年間に戦争をする時にゲディミナスとリガの大司教が取り決めを批准することで信頼を示した。それにも係らず、1325年にドイツ騎士団は教会の非難を無視してゲディミナスとの戦争を再開した。その間ゲディミナスは、ポーランド王ヴワディスワフ1世短身王の息子であるカジミェシュ3世に娘アルドナを嫁がせることで同盟を結んで状況を改善している。
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