宗教の論客
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 23:19 UTC 版)
「ジョゼフ・プリーストリー」の記事における「宗教の論客」の解説
そして、政治および宗教についての小冊子出版合戦へと巻き込まれていった。Schofieldによれば、プリーストリーは自身が正しいと信じて論争に対応したが、相手側はプリーストリーが故意に悪意を持って間違ったことを述べていると最初から確信して論破しようとしていたという。個人的怨嗟を前にしてプリーストリーは自分の考えが甘かったことを思い知った。しかし Schofield が指摘するように、彼は論争の後でも自説を撤回しなかった。リーズにいたころ、聖餐についてとカルヴァン主義の教義についての物議をかもす小冊子も出版した。その部数は数千部にも及び、プリーストリーの著作の中でも最も広く読まれた作品となった。 1768年、Theological Repository という雑誌を創刊。神学についての疑問にオープンかつ理性的に応えるという触れ込みだった。寄稿してくれればどんな文章も掲載すると約束していたが、プリーストリーと似たような考え方の者しか寄稿しなかった。そのため内容の大部分は自分で書かなければならなかった(それらが後の神学や形而上学に関する著作の元となった)。数年後、資金不足に陥って休刊することになった。1784年に復刊させたが、同様の結果に終わっている。
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