宇宙飛行士活動
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詳細は「中国有人宇宙飛行計画」を参照 1998年宇宙飛行士に選出される。ここから宇宙飛行士としての訓練が開始される。最終的に14名の宇宙飛行士がいたが、楊利偉が中国で初めての有人宇宙飛行士に選ばれた。宇宙から帰還後の2003年10月20日、中佐から大佐に昇格した。中国青年報は以前、大佐への昇格は有人宇宙飛行が行われる前にあらかじめ決まっていたという内容を発表したが、楊利偉はそのことについて知らなかった。 2003年10月15日北京時間9時、酒泉衛星発射センターから楊利偉が乗る神舟5号を載せた長征2号F型ロケットが宇宙に向けて飛び立った。発射前にどの宇宙飛行士が搭乗するかはあまり公開されなかった。発射一日前にようやく報道陣に楊利偉が選ばれたと発表された。 宇宙飛行の任務の中で、楊利偉は予定通り地上に向けて情況報告を行った。大気圏に再突入し通信が途絶えるまで通信は続いた。報告は全て正常とのことであった。神舟5号が8回目の地球軌道を周回する際、楊利偉は地上の妻に「宇宙での感じはとても良い。宇宙の景色は非常に美しい。宇宙でとても豊富で、宇宙色のある食事を3回した。」と報告した。食事には小さな月餅、宮保鶏丁、蒜泥白肉、八宝飯、緑茶、肉やつみれが含まれていた。楊利偉の紹介では飛び散らないように、食べ物はみな一口で食べきれるようになっている。 国際連合から与えられた国際連合の旗を神舟5号に持ち込み、帰還後は当時の国連事務総長コフィー・アナンに返還した。宇宙飛行中、楊利偉は小さな中華人民共和国の国旗と国連旗をビデオカメラに向かって掲げている。 神舟5号は無人地区に着陸する可能性もあることから、神舟5号には銃やナイフ、テントなどのサバイバル道具が積まれていた。 地球の軌道を14周し、60万キロメートルを飛行した後、神舟5号は北京時間の2003年10月16日早朝6時30分内モンゴルに無事着陸した。実際の着陸地点は理論上の着陸地点より4.8キロメートル離れていた。帰還した船体に損傷はなかった。楊利偉は着陸15分後に宇宙船を離れる。中華人民共和国国務院総理の温家宝は現地で祝賀を行った。 万里の長城は唯一宇宙から見ることのできる人工の建築物と言われるが、楊利偉は中央電視台のインタビューで宇宙から長城は見ることはできなかったと話している。実際は多くの都市は宇宙からでも識別することができるが、長城はあまりにも細いので、よほど天候条件が揃っていないと宇宙から見ることは不可能である。
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