学問的活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:48 UTC 版)
ルドルフ・スメントの学問的活動は、初期の国制史や法制史の著作の後には、もっぱら、国家と教会という二つの大きな対象に捧げられている。その際に、1945年以前に中心に在ったのが国法と憲法であった。その後、教会法にも熱心に取り組んだのであった。スメントの主著とみなされているのが、『憲法と憲法法(Verfassung und Verfassungsrecht)』(1928年)である。その著作において、スメントは、特に統合理論を根本的に際立たせた。その際にスメントにとって重要であったのが、規範的な演繹の基礎ではなく、社会学的で精神科学的な認識の基礎に基づいて描かれるべき国家理論を発展させることであった。スメントは、国家の基礎に国家を個人の生の過程の相互作用の上に築かれた精神的実在として理解する社会理論を置いた。更に、スメントにとって重要であるのは、国法上の基礎概念を新たに捉え、そして、その際に国家の生のプロセスの動態的・弁証法的性格を強調することであった。憲法は、スメントの統合理論においては、国家という統一体のための機能とみなされている。国家機関と国家権力は、静止した実体ではなく運動する諸力として理解される。 スメントは、支配の感情的な源泉、それゆえ例えば国旗、国歌、紋章、言語あるいは歴史的関連の意義と効果に取り組んだ。それらの源泉は、社会的、宗教的、あるいは世界観上の境界を越えて統合し得るものである。スメントは、立法と司法にそのような統合効果があると思うことはほとんどなかった。立法と司法は専門家のためのものであるとされ、しかし、幅広い住民層において、拘束力を示さないとされている。国家の式典、象徴、儀式へのスメントの取組みにおいて、スメントのキリスト教的・福音主義的背景を認識することができ、その取組みは、特定の表象、行為、形式的同一性を越えて作り出されたキリスト教的な体験共同体によって影響を受けている。 スメント学派の有名な支持者として、とりわけ、徐道鄰(Hsü Dau-Lin)、ウルリッヒ・シャウナー、ホルスト・エームケ、コンラート・ヘッセ、ペーター・ヘーベルレが挙げられる。政治学の領域においては、ヴィルヘルム・ヘンニスが挙げられる。統合理論の絶えざる有益性は、スメント学派の学者の見解によると、その理論が法実証主義と規範と現実の解体を克服し、それにより新たな研究分野を開拓していることに基づいている。統合理論の絶えざる有益性は、スメント学派の学者の見解によると、その理論が法実証主義と規範と現実の解体を克服し、それにより新たな研究分野を開拓していることに基づいている。 スメントのテーゼは、特に実証主義の側から、概念の不明確性、内容的な価値観念と尺度との法概念の結びつきに関して批判されている。統合理論は、国家的統合プロセスの固有の価値法則を強調する限りで、急進的で政治的な内在思想のモデルとして批判されている。更に、統合理論は、法の固有の意義を過小評価するものとされている。統合理論が国家理論とみなされる限り、統合理論は、一義的でなく断片的なものと批判される。 スメントは、統合理論を用いて、いわば、同じく1928年に出版したスタンダードワークである『憲法理論(憲法論)』において主張されたカール・シュミットの決断主義理論の学問上の対極を示している。この対立する思想と研究の端緒から発展した学派は、ドイツ連邦共和国の国法の議論において、1970年代に至るまで注目を引くものであったのであり、それどころか今日に至るまで、程度は劣るものの注目を引いているのである。ルドルフ・スメントの学問上の遺稿は、Niedersächsische Staats- und Universitätsbibliothek Göttingenに保管されている。
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