存在論と形而上学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 02:04 UTC 版)
「タットヴァ (ジャイナ教)」を参照 ジャイナ存在論は知識と認識によって特徴づけられていて「ジーヴァ」と呼ばれる感覚・意識の原理の存在を前提する。独立した魂が無限に存在して、それらは解脱しているか否かでカテゴライズされる。完全な知識・認識・至福は魂の生来の性質である。これらの性質は解放された魂が妨げられることなく享受するが、解脱していない魂の場合はカルマによって不明確にされてしまいカルマの束縛に終わる。この束縛はさらに魂と肉体の同居を招く。それによって、肉体に束縛された魂は「輪廻」としても知られる死と生の止むことのないサイクルの中で4つの存在の領域―天国、地獄、人、畜生の世界―に存在することになる。魂は始まりのない時間の中で束縛されている。しかしながら、正しい認識、正しい知識、それに正しい行為を通じて解脱を達成することが可能である。ジャイナ存在論は実在論と二元論両方に属する形而上学だとハリー・オールドメドーが言っている。究極的実在に関する知識には存在する世界の実在性が含まれるとする点では実在論的である。明らかになった世界観には構成要素たる点に関する知識が含まれ、世界は解放の後も現実であり続ける。二つの主要な実在の範疇、魂と肉体が互いに排他的であるとする点では二元論的である。 ジャイナ教によれば、魂は自身の運命の主である。自身の運命の完全な支配は魂の性質の一つである。魂はそれ単体で自身のとる行動を選択し、魂はそれ単体でその結果を受ける。神も預言者も天使もこの行為、つまり魂の運命を妨げることはできない。さらに、魂それ自体こそが神の恩寵などなくとも解放を達成するために必要な努力を成し遂げる。ジャイナ教の十二の黙想(「アヌプレークサース」)のなかで、そのうちの一つは魂の孤独と宇宙および転生の本性である。そのため自分の行動で魂を洗浄することによってのみ人は自分を助けることができる。 ジャイナ形而上学は七つの(下位カテゴリとともに九つになることもある)真実、つまり「タットヴァ」としても知られる根本的な原理に基づいていて、人の苦境の性質を説明し、解決しようという試みである。最初の二つは魂と非魂という二つの存在論的な範疇で、言い換えればそれらが存在しているという原理である。三番目の真実は「ヨーガ」と呼ばれていて、命と非命という二つの実体の間での相互作用を通じてカルマの物質(アースラヴァ、漏)が魂に入っていき、それにくっついて離れなくなり、カルマに転換されることであり、四番目の真実が束縛(バンダ)として働いて魂に特有な意識の出現を束縛する。五番目の真実は、新しいカルマの停止(「サンヴァラ」)は信仰と知識という正しい行いを通じた禁欲主義を通じて可能となると説く。禁欲主義の増大は存在するカルマを焼き払ってしまう―この六番目の真実はニルジャラーという言葉で表される。最後の真実は、魂がカルマの影響から自由になると魂はジャイナ教の教えの目的、「解脱」に達するということである二つの付加的なカテゴリを追加する著述家もいる。称賛される行為とそうでない行為はカルマに結びついている(プニャとパーパ)。これら九つの中核的な真実のカテゴリは「ナヴァタットヴァ」と呼ばれ、ジャイナ形而上学全体の基礎をなす。
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