大陸との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 05:39 UTC 版)
「オファ (マーシア王)」の記事における「大陸との関係」の解説
オファのヨーロッパとの外交関係は記録が多く残されているが、その年代はオファ治世最後の十数年間に限られたものと見られている。780年代後半もしくは790年代前半に書かれた手紙の中で、カール大帝(シャルルマーニュ)の顧問である修道士アルクィンはオファが教育を奨励していることを祝福し、オファの妻キュネスリスと息子エグフリスへも挨拶の言葉を書き添えている。789年頃、あるいはその少し前、カール大帝は、息子カールとオファの娘の一人、おそらくはエルフレダ(Ælfflæd)との結婚を提案した。これを受けてオファは、息子エグフリスとカール大帝の娘ベルタとの結婚を要求した。カール大帝はこの要求に激怒し、イングランドとの接触を断絶、イングランド船の領内入港を禁止した。アルクィンの手紙によれば、790年の終わりになっても紛争はまだ解決されておらず、アルクィンは和平のために派遣されることを望んでいたことを明らかにしている。最終的には、聖ワンドリル修道院 (Abbey of Saint Wandrille) 院長ゲルヴォルド (Saint Gervold) の仲介などもあり国交は回復した。 カール大帝は794年のフランクフルト教会会議(英語版)にイングランド司教を参加させた。この教会会議は787年の第2ニカイア公会議で可決された公会議決議は否定し、イスパニア司教フェリクス (Felix (bishop of Urgell)) とエリパンドゥス (Elipando) の2人を異端として非難するものであった。796年、カール大帝はオファに手紙を書いた。これは先にオファがカール大帝に宛てた手紙に対する返信であり、現存するイングランド外交史最古の文書である。書簡の内容は主に大陸におけるイングランド人巡礼者の地位と外交上の贈り物に関するものであるが、それはイングランド人とフランク人の関係について多くのことが明らかになる。カール大帝はオファを「わが親愛なる兄弟」と呼び、大陸からイングランドに送られた黒石や、イングランドからフランク人に送られたマント(おそらくは布地)の取引にも言及している。カール大帝の書簡はイングランドからの亡命者にも言及しており、その中にエドベルト3世と同一人物とみられるオッドベルト(Odberht)の名前を挙げている。ウェセックスのエグバートもまたオファからの亡命者であり、フランク宮廷に避難していた。カール大帝がオファに対する反乱分子への支援を政策の一部としていたことは明らかである。カール大帝はエグバートとエドベルトを保護しただけでなく、ノーザンブリア王エゼルレッド(英語版)にも贈り物を送っている。796年までのイングランド南部での出来事はオファとカール大帝の争いとして描かれることもあるが、両者の力の差は歴然としていた。796年当時カール大帝は大西洋からハンガリー大平原まで広がる帝国の支配者であり、オファと次代マーシア王コエンウルフはそれに比べれば明らかにマイナーな存在であった。
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