おおの‐すすむ〔おほの‐〕【大野晋】
大野晋
大野晋(母音融合)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 09:02 UTC 版)
「上代特殊仮名遣」の記事における「大野晋(母音融合)」の解説
大野晋は、万葉仮名の音読みに用いられる漢字の中国語における当時の推定音(中古音)等から、イ段乙類・エ段乙類・オ段乙類は甲類と異なる中舌母音を持っていたと推定した。IPA ではイ乙[ï(ː)]、エ乙[ɜ(ː)](説明では「半狭母音」と言っているので[ɘ(ː)]か)、オ乙[ö]。エとオの間に、わずかな発音の差しか持たない母音が2つも挟まり、半狭母音の列に4つもの母音が集中するこの体系は、明らかに不安定であったから、平安中期以降に京都方言など日本語の主要方言が、a, e, i, o, uの安定した5母音となる契機であったと大野は説明する。 また、8母音のうちイ乙・エ甲・エ乙・オ甲の4つは、そもそも発現頻度が相対的に少ない、専ら語中に出現する、という特徴があり、かつ複合語などで母音が連続する際に生じていることが多いことから、連続する母音の融合により生じた二次的な母音ではないか、と(これはすでに多くの研究者にも言われていたことであったが)発想し、次のような母音体系の内的再構を行った。 上代日本語よりも遥かに古い日本語には本来 *a, *i, *u, *ö (= o₂) の4母音があった。(日本祖語四母音説) 上代日本語のイ乙・エ甲・エ乙・オ甲は、上述4母音の融合によって生まれた二次的母音であった。具体的には、「ウ+イ甲」および「オ乙+イ甲」がイ乙(*ui, *əi > i₂)、「イ甲+ア」がエ甲(*ia > e₁)、「ア+イ甲」がエ乙(*ai > e₂)、「ウ+ア」がオ甲(*ua > o₁)に、それぞれ融合することで新しく二次的な母音が生まれた。 この内的再構から、大野はさらに日本語における動詞の活用の起源を説明した。四段動詞および変格動詞は語幹末が子音であり、上一段動詞・上二段動詞・下二段動詞は語幹末が基本母音であり、それぞれに語尾が接続する際に、母音が接触して母音融合が起きた結果、上古語にみられるような動詞の活用が発生したと理解すると、動詞活用のかなりの部分が説明可能となると考えた。以上の発想は現在の日琉祖語の理論でもある程度使われている。 大野は後に、この「本来的な4母音」が、オーストロネシア祖語(大野自身の表現では「ポリネシア語」)において推定される母音体系(*a, *e [ə], *i, *u)と類似していることから、日本語の基層にはオーストロネシア語が存在するのではないか、という議論も行った。 大野晋の4母音説は体系的に整ってはいるが、かならずしも充分な証拠があったとは言えなかった。とくにオ段甲類の起源については問題が多かった。セルゲイ・スタロスティンは大野晋を支持したが、オ段甲類が*ua に由来している理由として *ia > e₁ と変化が並行的である。 沖縄語の kwa「子供」に上代日本語の ko₁ は対応している。 くらいしか挙げることができなかった。 そのため、たとえばサミュエル・マーティンは ua または uə がオ甲になったという説について「これを支持するような良い例は全くと言っていいほど示されていない(Pitifully few good examples have been adduced to support this notion)」と言った(Martin 1987: 58)。
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