大衆的になっていく山下人気とは? わかりやすく解説

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大衆的になっていく山下人気

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/15 00:30 UTC 版)

日本のアウトサイダー・アート」の記事における「大衆的になっていく山下人気」の解説

山下のことはその後第二次世界大戦挟んだせいもあり世間から忘れられたが、1954年昭和29年1月、突然の様に山下話題持ち上がった朝日新聞社会部の記者矢田喜美雄から持ちかけられ式場隆三郎朝日新聞が、山下清行方を捜すキャンペーンはじめたのである新聞以外に、ラジオでも広報はなされた。山下にはもともと放浪癖があって、ときどき八幡学園からいなくなるのだが、この時は鹿児島にいて、新聞掲載四日後とすぐに見つかった山下キャンペーンで「日本ゴッホ」と名付けられ有名になっていく。式場は、山下ちぎり絵ゴッホの絵を比べて、「彼(山下自身ハリ絵が点描的なので(ゴッホ作品)と実に近似感がある」と評したが、服部は、両者作品似ていないし、症例類似しいとする三頭谷はむしろゴッホより、同じ印象派クロード・モネとの類似指摘するにも拘らず山下がそう称されたのには、前年の「ゴッホ生誕百年祭」をはじめとする式場によるゴッホ啓蒙成果があったためと服部は見る。もっとも山下自身は、ゴッホにはさほど興味がなかったようではあるが。 式場はさらに、「特異児童」の絵画全体に関わっていくようになった1955年昭和30年3月に、東横百貨店東京都渋谷区渋谷)で滋賀県落穂寮の作品展覧会を、1956年昭和31年)の3月から4月まで、「山下清作品展」を大丸東京都中央区八重洲)で開催した。この山下展は、八十万人の観覧者集めたほどの盛況ぶりだった。両作品展には知的障害者へのカウンセリングのための教育相談室設置され多数相談者訪れたという。これには、式場の、障害者教育への情熱背景にあった服部は、現在までの日本のアウトサイダー・アート特色として、教育との強烈な結びつき挙げるが、これは、式場時代からすで示されていた傾向だという。そして、以降山下への、さらにはアウトサイダー・アートに対して美術界アプローチも、ほぼ絶えていったのであるが、その理由服部は、山下人気の立役者である式場前述のように美術界から無視されていたこと、はたよしこは、あまりにも式場活動教育よりだったために、美術界から、美術とは無関係のものである看過されたこと、小出由紀子三頭史は、山下大衆的な人気集めようになったことが以降無視一因であると指摘する。 以上の様に戦後山下ブーム戦前ブームと違う点は、その作品自体より、山下自身人気得たことにある。戦前でも、山下中心とする八幡学園の生徒障害という点は関心持たれのであるが、戦後においては山下一人に人気絞られまた、その愛すべきキャラクター芦屋雁之助主演ドラマなどマスメディアでの宣伝により、美術界沈黙とは裏腹に山下清の名は日本中に大きく知れ渡った。 なお、式場のほかには、精神科医呉秀三による患者創作文字について報告みられる

※この「大衆的になっていく山下人気」の解説は、「日本のアウトサイダー・アート」の解説の一部です。
「大衆的になっていく山下人気」を含む「日本のアウトサイダー・アート」の記事については、「日本のアウトサイダー・アート」の概要を参照ください。

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