大衆演劇場・映画館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 14:31 UTC 版)
「柳ヶ瀬 (岐阜市)」の記事における「大衆演劇場・映画館」の解説
岐阜市が誕生した頃に、大黒座と泉屋という芝居小屋が建てられたのが柳ケ瀬の大衆演劇の歴史の始まりである。明治30年代には、新しい娯楽として活動写真が親しまれるようになり、明治43年に最初の活動写真館常設館である「電気館」が建てられた。明治39年から昭和21年までは浪曲小屋があり、大正時代には寄席や国技館などもあったが、いずれもすぐに閉館した。昭和30年代の中ごろには200メートルの直線距離に8館の娯楽施設が集まっており、最盛期の昭和40年代前半には柳ケ瀬に13個の映画館があった。
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