大根島第二熔岩隧道
名称: | 大根島第二熔岩隧道 |
ふりがな: | だいこんじまだいにようがんずいどう |
種別: | 天然記念物 |
種別2: | |
都道府県: | 島根県 |
市区町村: | 松江市八束町 |
管理団体: | 松江市(昭10・7・26) |
指定年月日: | 1935.06.07(昭和10.06.07) |
指定基準: | 地6,地10 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 大根島ノ略中央ニアリ洞形ハ東南ヨリ西北ニ向テ殆ト一直線ヲナシ延長八一.一メートルニ及ヒ中央部ヨリ北ニ向テ別ニ一支洞ヲ分岐ス洞底ハ殆ド平坦ニシテ西北ニ向テ緩傾斜ヲ示ス洞底ノ熔岩面ハ縄状ヲ呈シ両側ニ棚状ノ隆起アリ又天井ニハ短カキ熔岩鍾乳懸重ス此等ハ富士山麓ノ熔岩隧道ト殆ド其ノ軌ヲ一ニス |
天然記念物: | 大村のイチイガシ天然林 大村神社のオオムラザクラ 大杵社の大スギ 大根島第二熔岩隧道 大正洞 大池のオヒルギ群落 大浜海岸のウミガメおよびその産卵地 |
大根島第二熔岩隧道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/06 03:24 UTC 版)
大根島第二熔岩隧道(だいこんじまだいにようがんずいどう)は、島根県松江市八束町(旧八束郡八束町)寺津にある国の天然記念物に指定された溶岩洞である[1][2][† 1]。1933年(昭和8年)の道路改良工事の際に偶然発見されたもので、地元では竜渓洞(りゅうけいどう)と呼ばれており、発見から2年後の1935年(昭和10年)6月7日に国の天然記念物に指定された[1][2][3]。
注釈
- ^ 大根島の「島」の読み仮名は濁音のない「だいこんしま」と書かれるものが多いが、本記事では文化庁告示どおり濁音のある読み仮名を用いた。
- ^ 溶岩の「よう」の漢字は溶岩・熔岩の表記ゆれがあるが、コトバンクによれば、本来「熔岩の熔はmeltすなわち氷が水になる意味であり,溶はsolutionで塩が水に溶ける意味で大きな違いがある。熔岩は熔を用いるべきである。」としている。
文化庁の告示による国指定天然記念物の名称は熔の漢字を用いている。本記事では固有名詞(天然記念物指定名称)以外の記述は一般的に使われる「溶岩」で統一する。 - ^ 火山洞窟における洞内測量は石灰洞窟と異なり、洞内に微弱な磁力の影響があるため通常は大きな全円分度器を使用する。大根島第二熔岩隧道は磁力の影響がほとんどないためポケットコンパスの方位磁石を元にして各々の基線の交差角度が測定された。洞窟内の測量結果は地上の測量と異なり多少の誤差は容認されているため「簡易測量」と表現することが多い。
出典
- ^ a b c 大根島第二熔岩隧道(国指定文化財等データベース) 文化庁ウェブサイト、2021年5月5日閲覧。
- ^ a b c 大根島第二熔岩隧道(文化遺産オンライン) 文化庁ウェブサイト、2021年5月5日閲覧。
- ^ a b c 品田穣(1995)、p.953。
- ^ デジタル大辞泉プラス. “熔岩”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2021年5月5日閲覧。
- ^ 品田穣(1995)、p.948。
- ^ a b 八束町教育委員会・火山洞窟学研究会(2005)、島根県八束町教育委員会 教育長 門脇延雄、はじめに。
- ^ a b 八束町教育委員会・火山洞窟学研究会(2005)、p.4。
- ^ 文化庁文化財保護部監修(1971)、p.288。
- ^ a b 島根県の歴史散歩編集委員会編(2008)、p.65。
- ^ 八束町教育委員会・火山洞窟学研究会(2005)、p.20。
- ^ a b c d 八束町教育委員会・火山洞窟学研究会(2005)、p.3。
- ^ a b c d 富士山火山洞窟学研究会・立原弘(2003)、p.5。
- ^ 八束町教育委員会・火山洞窟学研究会(2005)、p.6。
- ^ a b 八束町教育委員会・火山洞窟学研究会(2005)、p.7。
- ^ 富士山火山洞窟学研究会・立原弘(2003)、p.6。
- ^ 八束町教育委員会・火山洞窟学研究会(2005)、pp.27-29。
- ^ 八束町教育委員会・火山洞窟学研究会(2005)、p.8。
- ^ 溶岩トンネル 松江市観光協会八束町支部、2021年5月5日閲覧。
- ^ 島根県の歴史散歩編集委員会編(2008)、p.64。
- 1 大根島第二熔岩隧道とは
- 2 大根島第二熔岩隧道の概要
- 3 脚注
- 4 外部リンク
- 大根島第二熔岩隧道のページへのリンク