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大庭二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/21 03:17 UTC 版)

大庭 二郎
おおば じろう
生誕 1864年7月26日
元治元年6月23日
江戸幕府長門国大津郡
死没 (1935-02-11) 1935年2月11日(70歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1886 - 1926
最終階級 陸軍大将
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大庭 二郎(おおば じろう、1864年7月26日元治元年6月23日[1][2]〉- 1935年昭和10年〉2月11日[1][2][3])は、明治から大正期の陸軍軍人陸士旧8期陸大8期(優等)[3]。栄典は従二位勲一等功二級。最終階級は陸軍大将

経歴

長州藩士(現在の山口県青海島)、大庭此面の長男として生れる[1]陸軍幼年学校を経て、1886年明治19年)6月、陸軍士官学校(旧8期)を卒業し、陸軍少尉任官[1][3]1892年(明治25年)12月、陸軍大学校(8期)を優等で卒業した[1]。以後、参謀本部出仕、兵站総監部副官、参謀本部第1局員を経て、1895年(明治28年)から1900年(明治33年)までドイツに留学し、その後、陸大教官、参謀本部員兼山縣有朋元帥副官、大本営参謀などを歴任した[1]

日露戦争では、第3軍参謀副長として出征し[1]旅順攻囲戦に参戦した[2]1905年(明治38年)1月、後備第2師団参謀長[1][3]朝鮮駐剳軍)となり、朝鮮北部の作戦に従事した[2]。その後、近衛歩兵第2連隊長、陸軍戸山学校長などを経て、1910年(明治43年)11月、陸軍少将に進級し、陸軍歩兵学校長、歩兵第11旅団長を歴任[1][2][3]第一次世界大戦では観戦武官としてロシア軍に従軍した[2]1915年大正4年)2月、陸軍中将となり、第3師団長を拝命しシベリア出兵に従事[1][3]。さらに、軍事参議官朝鮮軍司令官を歴任[1][3]1920年(大正9年)12月28日、陸軍大将[2][3][4]となり、軍事参議官、教育総監を勤め、1926年(大正15年)3月に予備役に編入された[1][2][3]

親族

栄典

位階
勲章等
受章年 略綬 勲章名 備考
1889年(明治22年)11月29日 大日本帝国憲法発布記念章[18]
1895年(明治28年)11月18日 明治二十七八年従軍記章[19]
1901年(明治34年)11月30日 勲五等瑞宝章[20]
1905年(明治38年)5月30日 勲四等瑞宝章[21]
1915年(大正4年)11月7日 旭日重光章[22]
1915年(大正4年)11月7日 大正三四年従軍記章[22]
1915年(大正4年)11月10日 大礼記念章[23]
1919年(大正8年)10月25日 勲一等瑞宝章[24]
1920年(大正9年)11月1日 旭日大綬章[25]
1920年(大正9年)11月1日 功二級金鵄勲章[25]
1920年(大正9年)11月1日 大正三年乃至九年戦役従軍記章[25]
外国勲章佩用允許
受章年 国籍 略綬 勲章名 備考
1901年(明治34年)3月12日 バイエルン王国 武功第四等甲級勲章ドイツ語版[26]
1901年(明治34年)9月19日 プロイセン王国 王冠第二等勲章英語版[27]
1904年(明治37年)6月23日 バイエルン王国 神聖ミハエル第二等勲章ドイツ語版[28]
1906年(明治39年)5月8日 大韓帝国 勲三等太極章[29]
1907年(明治40年)7月1日 ロシア帝国 神聖スタニスラス第二等勲章英語版[30]
1909年(明治42年)11月30日 大清帝国 二等第二双竜宝星中国語版[31]
1909年(明治42年)12月15日 ロシア帝国 神聖アンナ第二等勲章英語版[32]
1912年(大正元年)10月9日 プロイセン王国 星章附赤鷲第二等勲章英語版[33]
1915年(大正4年)1月25日 ロシア帝国 神聖ウラジミル剣付第三等勲章ロシア語版[34]
1918年(大正7年)6月18日 支那共和国 二等文虎勲章中国語版[35]
1920年(大正9年)2月1日 フランス共和国 棕櫚葉附従軍十字章英語版[36]
1920年(大正9年)7月11日 パナマ共和国 ラ・ソリダリダ第一等記章[37]
1922年(大正11年)3月25日 イタリア王国 戦功十字章英語版[38]
1922年(大正11年)8月29日 チェコスロバキア共和国 菩提樹一枝附従軍十字章1918年章英語版[39]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『日本陸海軍総合事典 第2版』37頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『日本陸軍将官辞典』158頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』73頁。
  4. ^ 『官報』第2524号「授爵・叙任及辞令」1920年12月29日。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l 陸軍大将大庭二郎特旨叙位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11114011100 
  6. ^ 『官報』第1034号「叙任」1886年12月9日。
  7. ^ 『官報』第2551号「叙任及辞令」1892年1月4日。
  8. ^ 『官報』第3401号「叙任及辞令」1894年10月27日]。
  9. ^ 『官報』第4943号「叙任及辞令」1899年12月21日。
  10. ^ 『官報』第6247号「叙任及辞令」904年4月30日。
  11. ^ 『官報』第7084号「叙任及辞令」1907年2月13日。
  12. ^ 『官報』第8290号「叙任及辞令」1911年2月13日。
  13. ^ 『官報』第780号「敍任及辞令」1915年3月11日。
  14. ^ 『官報』第1397号「叙任及辞令」1917年3月31日。
  15. ^ 『官報』第2305号「叙任及辞令」1920年4月12日。
  16. ^ 『官報』第3242号「叙任及辞令」1923年5月23日。
  17. ^ 『官報』第1090号「叙任及辞令」1930年8月16日。
  18. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1889年12月29日。
  19. ^ 『官報』第3824号・付録「辞令」1896年4月1日。
  20. ^ 『官報』第5525号「叙任及辞令」1901年12月2日。
  21. ^ 『官報』第6627号「叙任及辞令」1905年8月2日。
  22. ^ a b 『官報』第1190号「叙任及辞令」1916年7月19日。
  23. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  24. ^ 『官報』第2169号「叙任及辞令」1919年10月27日。
  25. ^ a b c 『官報』第2612号「叙任及辞令」1921年4月19日。
  26. ^ 『官報』第5308号「叙任及辞令」1901年3月16日。
  27. ^ 『官報』第5474号「叙任及辞令」1901年9月30日。
  28. ^ 『官報』第6316号「辞令」1904年7月20日。
  29. ^ 『官報』第6858号「叙任及辞令」196年5月12日。
  30. ^ 『官報』第7210号「叙任及辞令」1907年7月12日。
  31. ^ 『官報』第7935号「辞令」1909年12月4日。
  32. ^ 『官報』第7950号「叙任及辞令」1909年12月22日。
  33. ^ 『官報』第65号「叙任及辞令」1912年10月18日。
  34. ^ 『官報』第744号「叙任及辞令」1915年1月27日。
  35. ^ 『官報』第1764号「敍任及辞令」1918年6月20日。
  36. ^ 『官報』第2250号「叙任及辞令」19120年2月5日。
  37. ^ 『官報』第2385号「敍任及辞令」1920年7月14日。
  38. ^ 『官報』第2893号「敍任及辞令」1922年3月28日。
  39. ^ 『官報』第3027号「叙任及辞令」1922年9月2日。

参考文献

軍職
先代
山田忠三郎
陸軍戸山学校校長
第18代:1908年8月28日 - 1912年9月25日
次代
林二輔
先代
-
陸軍歩兵学校校長
初代:1912年8月31日 - 1913年3月29日
次代
山田隆一
先代
仙波太郎
第3師団師団長
第12代:1915年2月15日 - 1919年11月25日
次代
菊池慎之助
先代
宇都宮太郎
朝鮮軍司令官
第3代:1920年8月16日 - 1922年11月24日
次代
菊池慎之助
先代
秋山好古
教育総監
第11代:1923年3月17日 - 1926年3月2日
次代
菊池慎之助



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