多摩川グランド時代とは? わかりやすく解説

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多摩川グランド時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 16:54 UTC 版)

川崎市多摩川丸子橋硬式野球場」の記事における「多摩川グランド時代」の解説

1961年昭和36年)、当時東映フライヤーズ球団国有地借り上げ二軍本拠地および練習場として開設以来1973年日拓ホームフライヤーズ、翌1974年日本ハムファイターズ経営母体および球団名変遷重ねながらも二軍本拠地としてイースタン・リーグ公式戦が行われた(日拓ホーム時代までの球場名は不明)。徒歩数分ところに球団合宿所勇翔寮」があり、若手選手育成の場として長年亘って使用されてきた。 当時多摩川グラウンド名乗る球場読売ジャイアンツ東京都大田区現在の多摩川緑地広場硬式野球場)、大洋ホエールズ川崎市中原区 その後等々力第二球場となったのち、下水道処理場等々力環境センター」の整備に伴い閉鎖)と併せて3箇所あった。 しかし、後年施設老朽化したことに加え観覧設備がなくトイレ仮設のものしかないなど観客来訪者対すサービス充分ではないこと、さらに更衣設備がないため選手屋外での着替え余儀なくされることなど設備不備指摘されるようになった(ただその分選手ファンとの距離が近く係員警備員配備されていなかったためにサイン握手求めるのは比較的容易で、「選手ファンが近いアットホームな球団」という日本ハム伝統チームカラー育まれていた)。また、外野後方東急東横線多摩川橋梁があり、イ・リーグ公式戦などの試合中電車通過する際には通過時の騒音ボール視認性低下理由試合一時中断されるなど(シート昇降する仮設バックスクリーンこそ設置されていたが、さほど用を成さなかった)、運営上大きな問題抱えていた。 これらの問題から、1992年平成4年)より相模原市神奈川県相模原球場(現:サーティーフォー相模原球場)を本拠地として使用するようになったため、同年以降練習のみに使用されるようになった1997年平成9年)にはかねてから計画されていた育成施設日本ハムファイターズタウン鎌ケ谷」が千葉県鎌ケ谷市完成し本拠地球場であるファイターズスタジアム屋内練習場合宿所(名称は同じく勇翔寮」)を有する充実した施設群が整ったに伴い球団同年をもって多摩川グランドはじめとする川崎市内球団施設使用終了した。 なお、練習場としての使用終了後球団所有続け駒場学園高等学校硬式野球部練習などに貸し出されていた。また、2001年平成13年5月26日と翌27日にはMLBボストン・レッドソックスが当グランド入団テスト開催している。 2004年平成16年)、一軍本拠地東京都から北海道へ移転し球団名を「北海道日本ハムファイターズ」へ改称したに伴い所有者従来の「日本ハム球団株式会社」(1946年12月設立)から2003年8月設立新し球団運営会社である「株式会社北海道日本ハムファイターズ」へ移行した2011年平成23年3月31日借地契約満了により日本ハム球団から国に土地所有権返還されたことに伴い閉鎖された。

※この「多摩川グランド時代」の解説は、「川崎市多摩川丸子橋硬式野球場」の解説の一部です。
「多摩川グランド時代」を含む「川崎市多摩川丸子橋硬式野球場」の記事については、「川崎市多摩川丸子橋硬式野球場」の概要を参照ください。

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