球団運営会社
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株式会社読売巨人軍(よみうりきょじんぐん、英: Yomiuri Giants Co.,Ltd.)は、読売ジャイアンツの球団運営会社である。 ジャイアンツの運営会社は複雑な変遷を辿っている。1934年に大日本東京野球倶楽部が発足したとき、読売新聞は大いにバックアップを行ったが、実際の出資額は僅少で、あくまで正力松太郎の関係による独立企業であった(筆頭株主は正力も一時期出向で在籍していた京成電鉄であった。出資株数としては、東芝、阪神電気鉄道、東京急行電鉄、吉本興業がこれに続いていた)。1947年2月、読売新聞社が全株式を買収し、完全に系列下。球団旗の右肩に「讀賣」の二文字が入り、社名を「大日本東京野球倶楽部」から「読売興業」に改めたが、1950年1月に「読売巨人軍」(第1期)として分離。しかし僅か1年2か月で読売興業に吸収されている。 1963年、読売新聞は九州に進出するに当たり、読売興業に読売会館(当時の有楽町そごう〈現ビックカメラ有楽町店〉や当時の読売新聞東京本社ビル〈現プランタン銀座〉の保有・管理会社)を合併させ、読売興業内に事業本部としての「読売新聞西部本社」を設けた。先が見えない九州での新聞事業の赤字をプロ野球興業と不動産の収入で補填するとの意図であったが、この結果読売興業はプロ野球、不動産、新聞の3事業を抱えるコングロマリット(複合型企業)となった。1988年には経営不振の中部読売新聞社から東海地方での新聞事業を受け継ぎ、「読売新聞中部本社」としている。2002年7月の読売新聞グループの再編により、「よみうり」(1992年6月に読売興業から改称)は新聞事業を読売新聞東京本社中部支社(中部本社が読売新聞社改め読売新聞東京本社に吸収)と読売新聞西部本社に分割してプロ野球専業となり「読売巨人軍」(第2期)の社名が復活した。これに伴いビジター用ユニフォームの胸マークも「TOKYO」から「YOMIURI」に変更となった(2004年まで使用)。 試合開催などの興行関係は、運営会社がプロ野球専業となって以降、読売新聞社・日本テレビ放送網・報知新聞社(スポーツ報知)の3社に委託しているため、「主催」に直接名を連ねていない。
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